村西とおる監督が反原発派とメディアに物申す!
2017.03.30 Thursday 01:12
くっくり
「Hanada」では「村西とおるの人生相談 人間だもの」という連載を長期でされていますが、『そっち方面』の話が多いので、申し訳ないけど、これまで私はあまりまともに読んだことがありませんでした。
ので、今回の百田さんとの対談の中身を見て、驚きました。
国士なんですよ!(≧▽≦)
対談では、AVの話も出てきますが、メディア(「ニュース女子」問題など)、安全保障、沖縄、原発、アメリカなど、多岐に渡って持論を述べておられます。
特に原発について、大変興味深い話をされていたので、今日はその部分だけ、それも村西さんの発言のみピックアップして紹介します(百田さんの発言はカット。すみません(^^ゞ)。
【私は、原発を否定する、しないのターニングポイントは、1973年のオイルショックを経験しているかどうかだと思っているのです。私はあの時、日本人は何て浅ましいんだろうと思いました。噂だけで日本中血走って我先に、デパートで奥さん連中が爺さん婆さんを蹴っ飛ばしてトイレットペーパーや洗剤を買い占めたんです。人間とはこんなふうになってしまうのか、と恐ろしくなりました。日本はこのオイルショックを契機として原発に舵を切っていくわけですが、福島第一原発が着工したのは私が19歳の1967年です】
【(百田:村西さんは、福島県いわき市のご出身ですよね)はい。あの地区は塩分の多い枯れた土地で農業は作物がとれず、漁業も魚が獲れない漁場で本当に貧しいところでした。お父さんたちは、みんな東京に出稼ぎに行ってしまいました。中学校時代の同級生のお父さんは工事現場で亡くなりました。
いまのように労災保険もありませんから、お父さんの遺体を引き取りに行くお金がない。それで、骨で送ってもらうことになったのです。同級生は、親父の最期の顔を見たかったと号泣していました。そこに原発ができて、出稼ぎに行かなくても済むようになったのです。どれほど助かったことか。50年近くも地元が潤ったのです。
福島第一原発の事故があったからといって、地元の人たちは「原発この野郎」なんて思っていないんです。みんな仲間でしたから。同じように被災している。お互い連帯した共通の悲しみがある。そういうことも何も知らず、知ろうともしないメディアが「福島にはもう住めない」「東京電力は悪の塊だ」と報道する。とんでもない話です。東京電力の社員の人たちが、福島県でいまも行っているゴミ拾いなどの奉仕活動をご覧になったことがあるのでしょうか。目頭が熱くなりますよ。
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