「反日だけはカンベン」「自衛隊に名誉を与える憲法に」 海洋冒険家の堀江謙一さん
2017.02.09 Thursday 03:32
くっくり
「この海で亡くなった3500名もの日本人将兵にも、家族がいて、母親がいた。どれほど家族にや母親に会いたくて、日本に帰りたかったことだろうか…」
堀江さんは決意しました。
「この海で眠っている先輩の皆さん、ぼくはいま、皆さんに捧げる花束を持ち合わせていません。お許しください。しかし、もしこのヨットが無事にサンフランシスコのゴールデンゲートをくぐってゴールしたら、それを先輩方に捧げる“花”とします」
航海はアクシデントの連続でしたが、94日をかけて、無事サンフランシスコに到着。
堀江さんは、ミッドウェー島近海に眠る先輩方に“花”を手向ける約束を果たしました。
そのおかげなのか、パスポートとビザがないにもかかわらず、当時のサンフランシスコ市長は、「コロンブスもパスポートは省略した」と、堀江さんを名誉市民として受け入れてくれました。
当初は「密出国」した堀江さんを叩いていた日本のマスコミも、サンフランシスコでの厚遇を見て、手のひらを返すように偉業を讃えるものに変化したとのこと。
…ありがちですね(^_^;
堀江さんは帰国後、「密出国」について日本の当局から事情聴取を受けたものの、起訴猶予になりました。
image[170209-04horieSanfrancisco.jpg]
[2002年、マーメイド号を復元し、40年ぶりに「太平洋ひとりぼっち」を再現し、サンフランシスコに到着。大歓迎を受けた故クリストファー市長の肖像画を手に記念撮影]
その後、堀江さんは海洋冒険家と呼ばれるようになり、西回りでの単独無寄港の世界一周航海(1974年)、縦回りの世界一周航海(1982年)、東回りでの単独無寄港の世界一周航海(2004年〜05年)などなど、多くの航海に成功。
その間、太平洋を航海している時、堀江さんが乗船しているヨットに自衛隊機が接近してきて、撮影した写真が新聞に掲載されたことが何回かあるそうです。
明らかに堀江さんのヨットと分かって撮影していました。
訓練として、自衛隊機が船舶に接近して写真を撮影することがあるらしいです。
堀江さんは海上自衛隊や海上保安庁とも関係がけっこう深いようです。
[7] << [9] >>
comments (2)
trackbacks (0)
<< 在日中国人が反アパホテルデモ・法務省がヘイト具体例提示・放射線量の嘘を放置する安倍政権・外国人労働者受け入れ拡大…青山繁晴「虎ノ門ニュース」
“戦う相手を間違えないで!” 中国亡命漫画家が描く「マンガで読む嘘つき中国共産党」 >>
[0] [top]