反安倍新聞の実態!「安倍の実像を知る人が増えたらプロパガンダできなくなる」「取材しなくていいからとにかく叩け」

2017.01.21 Saturday 02:42
くっくり


 そうしたことは社内で伝染するので、「それが真実なんだ」と思い込んでしまう。一端、ステレオタイプな見方をしてしまうとそこから離れられず、その方向に沿って行動しなければ納得できなくなる。
 初めて安倍総理との飲み会に参加した朝日の記者が、会の終了後に「安倍さんがこんなにクリアな人だと思わなかった」と言っているのを聞いて呆れたことがあります。
 つまり世間で言われている、ぼんぼんで親の七光りでたまたま出世しただけの右派政治家というイメージを勝手に抱き、疑うことをしない。記者なら自分で取材して確かめるぐらいしたらどうか、と思いました。

次々と外される「番記者」

山口 朝日で、曽我氏のように安倍総理に近い人物が政治部長になったのは異例のことでした。2001年、第1次小泉内閣の安倍官房長官番、いわゆる「番記者」になった時、朝日には安倍総理から非常に信頼されていた安倍番の記者がいたのですが、ある時、彼は野党議員の番記者に回されてしまう。安倍晋三という政治家が何を考え、どのような政策を実現させようとしているのかを虚心坦懐に取材をして、ファクトを読者に伝えるには彼を安倍番にしておいたほうがいいのは明らかでした。なのに外した。

阿比留 朝日に限らず、反安倍新聞で安倍総理と近しかった人たちが担当を外されていく事例は多かったですね。それを見て、初めから安倍晋三という政治家を取材する気などないんだなと思いました。単に、初めから持っている偏見と思い込みに基づいた記事を書くだけ。いまもその傾向は全く変わっていません。

山口 東京新聞でも安倍総理に近しいお酒の大好きな記者がいて、総理から「また彼は寝てしまったね」と言われるぐらい親しく付き合っていた人なのですが、彼もやはり安倍番から外されました。
 私が勤務していたTBSでも、第1次安倍政権が発足したら私は官邸を担当する予定になっていたのですが、ある人がTBSの幹部に連絡して「山口を官邸に寄こしたらこれからは付き合い方を考える」とクレームを入れて、結果的に私は外務省担当になった。すでに官邸クラブの名刺が刷り上がっていたにもかかわらずです。
 第2次安倍政権発足が確実となった際も、なぜか私はワシントン支局長を命じられました。安倍総理の一挙手一投足を虚心坦懐に取材して国民に知らせることができる、と楽しみにしていたのですが、“国外追放”されてしまった。

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