【過去】9・17を振り返ってみた

2006.12.11 Monday 13:31
くっくり


 第一回会談後、金正日からの「ともに昼食を」との誘いを断って、首相は安倍らと作戦会議を開いた。首相は日本から持参した幕の内弁当に一口、はしをつけただけだった。
 同じ頃、現地準備本部長の梅本和義駐英公使が、生存者と対面していた。安倍の「首相が会うべき。それが駄目なら俺が」を押しとどめてのものだった。生存者は「父や母に会いたい」と訴えたが、「どうやって連れてこられたのか」との梅本の問いかけには言葉を濁した。
 第二回会談。いきなり金正日が謝罪した。「いきなりハードルを越えた」金正日の発言に、首相の強硬姿勢は消え、国交正常化再開を決断した。

 ……結局、小泉首相は金正日にいいようにされたのだ。金正日にすれば、拉致を認め謝罪するという大きな犠牲を払ったとはいえ、「してやったり」という気分なのではないか。

 *1 元自民党重鎮・安倍晋太郎の息子。拉致被害者家族にとって信頼できる数少ない政治家の一人。

■百億粒の灰になっても

 中島みゆきの「異国」という歌に、こんなフレーズがある。

百年してもあたしは死ねない あたしを埋める場所などないから 百億粒の灰になってもあたし 帰り仕度をしつづける

 拉致されて北朝鮮で命果てた人たちの気持ちは(そしてまだ「生かされている」人たちの気持ちも)、まさにこんな感じではないだろうか?
 横田めぐみさんのように子供がいるとされる人はともかく、単身のままで亡くなってしまった人はよけいに……。
 家族にしてみれば、せめて遺骨や遺品のひとつも手に入れたいだろう。本人が確かに北朝鮮で生きていたという証を、どんな小さな物でもいいから手にしたいと思うだろう。でないと、本人も家族も浮かばれない。

■有本恵子さんはいつ亡くなった?

 有本さんは生存の可能性が高いと言われていた。昨日の朝の時点まで、「一時帰国か」という情報もあったほどだ。
 今年3/13、自民党の中山正暉議員(*2)が有本さん宅へ電話し、「有本恵子さんの拉致事件は、 日本人が日本人を拉致したので北朝鮮は関係ない。 『救う会』から手を引けば、恵子さんに会わせてやる」と、発言している。
 ということは、この時点で有本さんは生きていたということか。あるいはもうすでに死んでいた(殺されていた)のだが、北朝鮮が日本側を翻弄するために、嘘の情報を流したのか。

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