安倍総理が真珠湾で示した「和解の力」

2016.12.28 Wednesday 12:57
くっくり


 こんな思いもあって、もうイギリスの保護を求める必要もない、独立は我々自らの力で要求できるのだと確信するようになったのです。

■ダニエル・H・ディゾン(フィリピンの画家)
 私は、ヨーロッパ・アメリカ・中国・フィリピンの歴史を様々な角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ちあがり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジアを叱責した理由も理解できたのです。
 当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきとして戦争に突入していったのです。

■アブドル・ハリス・ナスチオン(インドネシアの元国防相)
 独立できた要素の第一は、日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。
 植民地体制の粉砕なくして独立はありえません。
 第二は日本軍の猛烈な軍事訓練です。
 オランダ軍はやってくれませんでしたし、我々自身がやろうと思ってもできるものではありません。
 日本軍時代の三年半でインドネシア人はすっかり変わったが、こんなに変わったことをイギリス軍やオランダ軍はわかっていませんでした。

■モハメッド・ナチール(インドネシアの元首相)
 大東亜戦争が起きるまでアジアは長い植民地体制下に苦悶していました。
 そのためアジアは衰えるばかりでした。
 アジアは愚かになるばかりでした。
 だからアジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
 大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。

■ブルキフ・ルビス(インドネシアの元陸軍大佐)
 大東亜戦争が契機となってアジアからアフリカまで独立しました。
 日本にだけ犠牲を払わせてすまないと思います。
 大東亜戦争中の日本軍政の特徴は、魂を持ってきてくれたことです。

■タナット・コーマン(タイの元外相)
 五十年間を振り返ると先の戦争が残酷なものであったにも拘わらず、善なるものも生みました。
 あの戦争によって世界のいたるところで植民地支配が打破されました。
 そしてこれは日本が勇戦してくれたお陰です。
 新しい多くの独立国が火の中から不死鳥のように姿を現しましたが、誰に感謝を捧げるべきかばあまりにも明白です。

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