続・日本側当事者の証言から見る慰安婦問題

2016.12.22 Thursday 01:47
くっくり


 食糧、特にお米など、性病の検査と治療、移動の時の便宜を図るなどである。

 戦地ではゲリラと性病について特に警戒し注意した。
 現地の少女を誘拐し暴行などすれば直ちにゲリラの標的になる。
 特にセブ島のセブではゲリラ活動が盛んで、度々非常呼集があり警戒したものである。
 戦地で性病に罹れば確実に死の道を行く事になる。
 当時は完治する薬が日本軍になかった。

 フィリッピンのマニラでは港から上陸すると正面にイントラムロスの高い城壁がある。
 スペイン時代、モロ族の襲撃に備えて造ったものと聞いている。
 周囲約三キロ位。
 この城内に昭和十八年三月頃から六月頃まで駐留した。
 リサール公園側に二階建の長い兵舎があった。
 隣に有名な教会が戦災を免れて現在でもある。
 日曜日の早朝この教会の前に若いフィリッピン女性がにっこり笑って手を振っている。
 見覚えのある顔である。
 リサール街にある慰安所の慰安婦であった。
 朝の礼拝がすんでから慰安所へ行くと言う。
 マレーシアのペナンで日中、街を颯爽と歩いていた華僑の慰安婦。
 早朝から教会に礼拝に来るマニラの慰安婦達。
 いづれも一般市民と変わらぬ自由な生活をしていたと思う。
 前述のフィリッピン人のマリア・ロサ・ヘンソン*1の言う気絶する様な虐待とはどうゆう事か想像も出来ない。

 南方の戦地には日本人慰安婦も沢山いた。
 しかし今日まで誰も名乗り出ない。
 勇気を出して名乗り出て、私共と一緒に日本断罪の歪曲された妄言の数々を粉砕してしまいたいものである。

*1 平成4年にフィリピン人元慰安婦として初めて名乗り出た女性。日本軍の検問所で慰安所に強制連行され、毎日が地獄だったが、翌年気絶しているところをゲリラに救出されたと主張。平成5年に東京地裁に提訴し、最高裁まで争ったが敗訴。平成8年にアジア女性基金の「償い金」を最初に受け取った。詳細はこちらを。
 

■犬飼總一郎さん
【元第十六師団通信隊長。第十六師団は昭和十六年十二月二十四日にフィリピンのルソン島に上陸、翌年一月三日マニラに入った】

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