続・日本側当事者の証言から見る慰安婦問題

2016.12.22 Thursday 01:47
くっくり


 

■井上咸(はやし)さん
【元菊兵団・歩兵太尉(平成四年二月二十五日講述)。大正四年、朝鮮の京城(現在のソウル)生まれ。父は日韓併合当時に朝鮮に渡った役人であり、朝鮮の各地を転々とし、従って兄弟すべて朝鮮生まれ。井上氏自身も二十三歳で学校を出て軍隊に入り、南方の部隊に配属されるまで全て朝鮮で生活】

 満州事変以来朝鮮総督府が一番苦労したのは内鮮融和ということであります。
 どうかして早く一体にしたいわけで、今言ったような突然警察官や軍隊が村を囲んで有無を云わさず若い女を引っ張っていったという事はあり得ないですね。
 私の父も最初申し上げましたように朝鮮の各地で、今でいう町だとか村その付近の責任者となった場合もありますけれども、朝鮮人の知事も、かなりの高級官吏もおりましたし、警察官もほとんど朝鮮人だったと思いましたけれども、そういう中でそういう無法な事ができる訳がない。
 又その事が朝鮮総督府として許される事ではないんですね。

 そんなことが今になって尤もらしく語られること自体に僕は非常に意図的な何ものかを感じる訳です。
 遊郭業者、売春業者が、女を集める時はいろいろあったと思います。
 これは朝鮮の遊郭ばかりではなく内地の遊郭業ですね、それ自体は陰惨な暗い面がありましてね、業者と女の間にはいろいろあったと思います。
 これを今になると皆軍隊のせいにしておりますけれどもこの問題は、遊郭なり、売春業そのものの問題であって軍隊とは関係ないですね。

 では現地ではどうであったかといいますと、私の見たところ慰安婦は大事にされていました。
 慰安婦には朝鮮人も台湾人も日本人もおりました。
 現地現地で募集したのもおりました。
 それは商売として経営者、親方がついていて、その親方と軍との関係だと思います。
 私が現地で管理したというのは、朝鮮人の親方がだいたい七〜八名の女を連れてまいりました。
 これはおそらく上の部隊からの割当てだったと思いますが、作戦を終わりましてある期間駐留した場合に割当てが参りました。
 兵隊は喜びまして下にも置かないようなお客さん待遇で、建物を造り、食糧その他の調達にも走り回ったり、警備の面倒もみておりました。

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