北方領土返還への道のりは険しいが…Tweetまとめ16.12.01〜16.12.15

2016.12.16 Friday 21:20
くっくり


 北方四島には終戦時、1万7000人が暮らしていました。
 島に上陸してきたソ連軍は、各家に土足のまま上がり込んで、島民の財産を強奪していきました。
 自力で島を脱出した島民も半数ほどいたそうですが(船が遭難し命を落とした方々もいる)、残された半数の方々は、ソ連兵とその家族と一緒に島で暮らすことを強制されたというのが実態です。

 島民は自由を奪われ、15歳以上の成人は強制労働を課されました。
 ソ連軍は島民に「島に住み続けたいならソ連籍を取れ」と言いました。
 もちろん皆さん日本人で居続けたかったから、国籍変更を拒否。

 そして1947年〜48年にかけ、強制的に島を追い出されました。
 身の回りのものだけを持たされ、乗せられたのは貨物船。荷物扱いです。
 船倉に入れなかった人は甲板で過ごしました。
 トイレもほとんどなく、劣悪な環境。体力のない人は亡くなっていきました。

 しかも、連れて行かれたのは、北海道ではなく樺太の真岡。
 そこで収容所に入れられました。
 こちらの環境も劣悪を極めました。
 食べ物もろくに与えられず、暖房もなく、栄養失調や肺炎などにより、ここで亡くなった方々も大勢います。
 しかも皆さん、シベリア抑留の話を知っていたので、そのうち自分たちもシベリアに送られるかもしれないと、毎日びくびくしていたそうです。

 NHKは、こうした実態をまず報道した上で、ごく一部では“共生”もありましたと紹介するならいいと思うんですよ。
 でもそうじゃなかったわけですから。

※参考資料:http://www.chishima.or.jp/info.htm#005ほか


 で、日露首脳会談はどうなったかというと…、

 16日午後、合意文書交換式の後の共同記者会見で、安倍総理は、まず元島民の方々の話から入りました。
 (本来なら「島民」と書くべきですが、現在の島民(ロシア人)と区別が付きにくくなるので、涙を呑んで「元島民」と書きます)
 
 その際、冒頭紹介したNHKの報道にあったような話も折り込んでいたのは、ちょっと引っかかりました。

「島では終戦直後、辛い出来事もありましたが、日本人とロシアの人々は言葉の壁を越え、ともに助け合い、友情をはぐくみ、ともに暮らしていたそうです。離れ離れになってからも、さまざまな制約の中で、元島民の皆さんと島に住むロシアの人々が交流を深めてきた事実もうかがいました。『最初は恨んでいたが、今は一緒に住むことができると思っている』。そう語り、北方四島を日本人とロシア人の友好と共存の島にしたい、という元島民の皆さんの訴えに私は強く胸を打たれました」

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