映画「この世界の片隅に」が追求したのはイデオロギーよりリアリティー

2016.12.09 Friday 18:39
くっくり


 このようにリアリティーを細部まで追求した映画であることは、たとえば以下の動画からも分かります。

おはよう日本「この世界の片隅に」特集



 おすすめ映画であることに変わりはないのですが、原作ファンとしては、映画の中でひとつだけ、どうしても不満な点がありました。

 それは、原作にあった、周作(「すず」の夫)と「リン」のエピソードが丸ごとカットされていたことです。

 原作では、周作と「リン」が過去に恋仲だったことを「すず」が知り、人知れず苦しみます。
 自分は「リン」の“代用品”なのか?と…。
 少女のような「すず」の、大人の女の部分が描かれています。

 私なりの見方では、原作で大きなウェイトを占めるエピソードです。
 これを丸ごとカットしてしまうって、どうよ?*2

*2 ただ、周作の“切り取られた帳面の裏表紙”(周作と「リン」の関係に「すず」が気づく伏線)は、映画でも再現されていました。

 カットしたのはなぜ?
 尺が足りなくなるから?
 無理に詰め込むと、観客に分かりづらくなるから?

 …答えは、ブログ「ナガの映画の果てまで」様にありました。

ユリイカ「この世界の片隅に」 感想 【片渕監督の込めた「すず」という少女への愛】

 少なくとも、尺が足りないからとか、そんな単純な理由でカットしたのではないことは分かりました。

 映画のエンドロールの最後、クラウドファインディングのクレジットの下に、ラフ画で「リン」の生い立ちが描かれていましたが、そこに監督の思いが込められていたようです。

 でも、やっぱり私は納得できません…(T_T)

 「リン」のエピソードがカットされたことで、「すず」像が原作とは違うものになってしまったと思うからです。

 具体的には、映画だけを見た人の中には、こう感じてしまった人もいたのでは?

「周作は幼い頃に出会った『すず』への思いを貫いて、彼女をお嫁さんにしたのに、『すず』の方は、結婚後も別の男性(水原さん)に思いを残していたのか…」

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