映画「この世界の片隅に」が追求したのはイデオロギーよりリアリティー

2016.12.09 Friday 18:39
くっくり


 続きは以下のまとめを。

『この世界の片隅に』弾薬雑考その1(高角砲着色弾)

 この「色付きの爆煙」は原作にはありませんが、他にも原作にない場面はいろいろ出てきました。

 たとえば、これは12月2日放送のフジ「ユアタイム」で片渕監督から説明があった、女学生たちの場面。

image[161209-04jogakusei.jpg]

監督のそうしたリアリティーへのこだわりは、こんなシーンにも現れている。
兵器などの製造に駆り出された、女学生たち。
原作には登場しないが、当時を知る市民から、「駅前をよく歩いていた」と聞き、シーンに入れた。
そこには、こんな思いが込められていた。
片渕監督は「女学生たちが、かなりたくさん、防空壕で生き埋めになってしまったらしいんですよね。それを助けに行った、当時中学生だった男性の話とかうかがって、とにかく掘って、人工呼吸するんだけど、かわいそうだったって話とか。なんとか、その女学生たちの姿を、画面に残したいなと思って、駅前にそうやって歩かせたりとか。1人ひとり、人生があって、そこを生きていた方々ってことですよね」と話した。

 あと、空襲で被害に遭った人々のために、役人(?)が「おにぎりが届いています〜」と自転車で回って呼び掛ける場面も、原作にはありません。

 これについては、監督曰く、

(製作中も、3.11(東日本大震災)があったと思うのですが、何かそういう意識などはあったのですか?)
片渕監督「僕らも一生懸命、被災地に向かって、粉ミルクとか、おむつとか、一生懸命、送ることをやっていたんですね。でも、それは、同じことが、戦災でもあったということなんですよ。夜に、空襲があって、朝になった時には、もうすでに、隣の町の広島から、何万個っていう、お握りが届けられていたりするんですね。ある意味でいうと、逆に、この映画を描くと、震災のことも描くことになるんじゃないかなと思いました」


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