朝日新聞“南京大虐殺”虚報と東史郎のニセ証言
2016.12.03 Saturday 03:13
くっくり
ちなみに、この昭和59年8月4日記事からわずか3カ月後の昭和59年10月31日、朝日は「毒ガス写真事件」を起こしています。
「日本軍の悪行」をアピールできるなら、裏もとらずに載せる。
嘘を報じて「事実」にしていく。
それが今も変わらぬ朝日のスタンスです。
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3つめは、「23連隊戦友会vs朝日」がいちおうの決着を見てから半年後の、昭和62年7月7日から始まる一連の記事。
東史郎に関する記事です。
これが一番深刻です。
東史郎のニセ証言は中国を中心とした反日勢力のプロパガンダに利用され、その悪影響は現在も続いています。
慰安婦問題における吉田清治のニセ証言のように。
阿羅健一さんの解説から、要点を抜き出し、時系列に再構成してみます(一部こちらで加筆)。
image[161202-02higashi.jpg]
昭和62年7月6日
「平和のための京都の戦争展」実行委員会が、東史郎ほか2人を記者会見させた。
実行委員会は、この年が盧溝橋事件から50年目に当たり、新聞社が事件の起きた7月7日に載せる記事を探していたのを知っていた。
この3年前にも同様なことを行い、新聞に報じられていた。
昭和62年7月7日
東史郎らの会見をほとんどの新聞が報道。
朝日新聞は、【「南京虐殺」を見た 元兵士3人 陣中日誌など公表】の見出しを掲げ、7段で紹介。
日記にはこう記述されていたという。
「日本兵が郵便袋に中国人を入れ、火をつけたら飛び上がった。冷たくしてやろうと手りゅう弾をつけて沼にほうり込むと水中でさく裂した」
世間は驚いたが、地元の戦友たちは「またこんなものを」という冷めた見方だった。
この5年前、東が所属していた第三中隊は『第三中隊史』を作ったが、そこで東は戦友を悪しざまに記述するとともに、第三中隊は路王墳で20人の中国人を殺し自分も1人を斬り殺した、と書いていた。しかし、それまで戦友を貶める記述が中隊史に載ることはなく、路王墳で20人を殺したことについても知っている戦友はおらず、東はまるで小説を書くように書くと呆れられていたからである。
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