朝日新聞“南京大虐殺”虚報と東史郎のニセ証言
2016.12.03 Saturday 03:13
くっくり
朝日のいつものやり口ですね。
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2つめは、昭和59年8月4日の記事。
【日記と写真もあった南京大虐殺 悲惨さ写した三枚 宮崎の元兵士 後悔の念をつづる】という見出し。
昭和49年に腎臓病で亡くなった北郷村の上等兵(宇和田弥市)が日記に虐殺を記述しており、写真もあったと、12個の首の写真が添えられていました。
都城23連隊戦友会(南京攻略戦に参加した宮崎県都城市の連隊)が調査したところ、事実無根と判明します。
生首写真についても、中国軍が馬賊の首を切り落とした写真で、場所も南京とは無関係だったことが判明(同じ写真の持ち主が現れ、写真上部に「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」とキャプションがあった)。
戦友会は朝日に日記を見せるよう求めましたが、朝日は応じませんでした。
日記が紛失したと逃げられては困るので、小倉簡易裁判所に日記保全を申し立てしたところ、裁判所側は連隊会の訴えを全面的に認め、公開せよとの判決が下りました。
ところが朝日はただちに不服申し立てをし、公開は延期に。
連隊会は「連隊は南京事件と無関係」との記事を全国版に掲載することを条件に、朝日側と和解する道を選ぶこととなりました。
朝日側の引き延ばし戦術に付き合い、裁判ともなるとお金もかかるし、年月もかかるし、その間に関係者が亡くなっていくことが懸念されたからです。
昭和62年1月21日、連隊会は保全申し立て取り下げ書を提出。
23日、朝日は「取り下げに当たり連隊は南京虐殺とは無関係と表明した」「連隊会側が連隊として虐殺に関係したような印象を与えたとして反発していた」という小さな記事を全国版に掲載。
連隊会の朝日との約2年半にわたった戦いは終結しました。
一連の経緯については、以下のサイト様が詳しいです。
■脱 ・ 洗脳史講座(現代史家・田辺敏雄さんのサイト)
■正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(coffeeさんのブログ)
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