朝日新聞“南京大虐殺”虚報と東史郎のニセ証言

2016.12.03 Saturday 03:13
くっくり


 「正論」2016年6月号で、阿羅健一さんが、その中から3つをピックアップして解説されていたので、紹介します(敬称略)。
 
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 1つめは、『中国の旅』連載から1年経った昭和47年11月6日・7日に掲載された記事。

 野戦郵便長を務めていた佐々木元勝が陥落3日後の南京に入り、そのときの日記をもとに4年後『野戦郵便旗』を上梓するが、そこに「南京事件」が詳しく記述されていた、というもの。

 6日の記事は『野戦郵便旗』の紹介。
 7日の記事は佐々木元勝へのインタビュー。

 この記事が掲載された頃、『中国の旅』は激しい批判にさらされ、本多勝一は何も反論できずにいたから、朝日にとってはこのうえない援護の記事。

 しかし8日の記事をよく読むと、佐々木は自分で見た南京をこう証言しています。

「死体はすでに片づけられた後だったのか、ほとんど見ませんでした。おばあさんの死んでいるのを一度見かけただけです」
「どこかに連れられて行く捕虜の大群に出会いました」
「その夜、バリバリという機銃掃射の音を聞いた。翌朝、局舎のすぐ近くの嗎頭の水打ちぎわに、中国人の死体が累々と倒れているのを見た」

 つまり市民の死体は見なかったが、処断された捕虜の死体は見たという証言。

 どういうことかというと、『野戦郵便旗』の出版にあたり佐々木は参謀本部通信参謀の検閲を受け、新聞にも広告を出していたと言っており、佐々木の見た死体は掃討戦によるもので、問題となるものではないということ。

 当時から敗残兵の処断は知られ、戦闘の一環と見なされていたことを示すもので、この記事は、市民の大量殺害で反論に事欠いた朝日新聞が、敗残兵の処断を虐殺だと主張し出したことを意味しています。

「虐殺ということばは、どうも私にはぴったり来ない。戦闘行為の行きすぎ……せん滅戦、全滅戦といったほうが私にはぴったりします」

 と佐々木自身は証言をこう締めくくり、虐殺を否定していますが、朝日新聞は見出しに【「南京大虐殺」私が書いた】と掲げていました。

 見出しでミスリードし、ないものをあると読者に誤解させる。

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