自衛官志望の生徒を教師が束になって妨害!反自衛隊と自虐史観に満ちた「金八先生SP」
2016.09.13 Tuesday 01:13
くっくり
君塚校長
「いえ、認めるも認めないも、この国に自衛隊があるという現実を認識したうえでなければ、話は進められません。私はですね、坂本先生、今から37年前(1945年)に日本が戦争に負けて、これから何を、どうしていけばいいのか、全く分からないという思いを味わわされた年代の一人なんですよ。空襲で家は焼け、食料はなし。そういう日本人の初めて持った希望というのはね、もう二度と戦争をしなくてもいいという、この、安心感だったんです。学徒出陣で死んだ兄のことは、以前にもお話ししましたよね」
金八先生
「伺いました」
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君塚校長
「戦後私が教職を選んだっていうのは、その兄の志を継ごうと決心したからなんです。当時の教師のスローガンというのは、『教え子たちを二度と戦場に送るな!』でした。本当に心からそう思ったはずなんです。ところが近頃は、就職斡旋のひとつとして、自衛官募集のパンフレットをですね、生徒たちに手渡す学校とか教師が出てきたんです。これは一体どういうことなんでしょうか。でもやっぱり、私たちにも責任があるんですよねぇ」
里美
「校長先生…」
君塚校長
「私たちの年代の教師はね、熱い思いで、戦後教育に取り組んできた教師ばかりなんですよ。ただもう無我夢中で、生徒たちと一緒に泣き、そして笑いながらここまでやってきたんです。ところがいつの間にか、受験戦争、非行問題、目先のことにとらわれてるうちにね、教育の最も根本的なことを、忘れがちになってしまったんですよ。ほんとに、反省してます」
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里美
「校長先生の教育の根本って何なんですか」
君塚校長
「真実を教えることなんです。あらゆる事柄の中から、真実をつかむ力を与え、生きてく道を探させることなんです」
金八先生
「僕もそう信じます。そう信じて今日までやってきました」
君塚校長
「まあ私自身もね、長い間、自分は戦争被害者だと思っておりました。ところがある時ね、私の女学校の同窓会がありましてね。まあ、あの苦しい時のことも、今は懐かしさみたいなもんだなって話し合ってる時に、その中の友だちの一人がですね、『私たちは加害者だ!』と言ったんです。まあ私たちは工場動員で、飛行機の部品を作ってましたから、そしたら私たちの手で作った飛行機がですね、南方とか中国大陸で、何百人、何千人の人を殺したかもしれない! そう思った時ね、呆然としたんですよ。あの優しかった兄が参加した戦争が、他国の主権を侵した侵略戦争だった。それは今、歴史に明らかにされてます。でも、こんな情けない、悔しいことがあるでしょうか! ねえ、坂本先生、私はね、戦争体験を持つ、いち教師としてですね、生徒たちに真実を教える義務があるんです。どうぞ、力貸して下さい。お願いします」
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