豊田有恒さん、閔妃暗殺事件を語る

2016.09.06 Tuesday 01:48
くっくり


 閔妃は日本人に殺されたと信じられているため、韓国のテレビドラマ『明成皇后(ミヨンソンファンフ)』では愛国者であるかのように扱われているが、実際の歴史はかなり異なる。
 舅(しゅうと)の大院君(テウオングン)と権力争いをしており、守旧派の大院君に対抗するために改革派の金玉均(キムオツキユン)を支持したこともあるが、あくまで政争のためでしかなかった。

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[これは閔妃の写真として広く伝えられてきましたが、今日では偽物とされています]

 日本を牽制するため、清朝の袁世凱(えんせいがい)と結んだり、のちに宮廷を帝政ロシアの公館に移すという暴挙までやってのける。
 ビジョンもなにもなく、ただ権謀術策の権化のような人物だった。

 李朝末期は動乱、腐敗、凶作、殺戮、暗闘など、あらゆるマイナス要因が重なり、まさに王朝の断末魔のような状態だった。

 明治政府は、こうした時代相に対応しなければならなかった。
 朝鮮半島が清朝、あるいは帝政ロシアの版図に入るとなると、対馬海峡を隔てているものの、直接の脅威が日本に及ぶことになる。

(中略)19世紀末から20世紀初という時代は、朝鮮半島が日本の生命線だった。
 必ずしも併合しなくても、朝鮮王朝がしっかりしていれば、緩衝地帯としてそのまま済んでいたはずだ。

 日本としても、たしかに目障りだったのだろう。
 日本公使・三浦梧楼(ごろう)が殺害したとする通説をわたしも信じていたのだが、謎の部分が少なくない。

 朝鮮は現在ですら、ほとんどの有力企業が同族経営であるくらいで、血縁主義(Nepotism)の国である。
 閔妃は同族の閔氏を不当に多く登用し、人々の恨みを買っていた。
 また、大院君の息のかかった一派も閔妃を憎んでいた。

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[晩年の興宣大院君。「大院君」とは王位が父から子への直系継承が行われなかった場合に、新しい国王の実父に対して贈られる尊号。李氏朝鮮末期に多大な影響をもたらしたため、単に「大院君」というと興宣大院君を指すことが多い]

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