【過去】「南京大虐殺」まとめ(2)

2006.11.27 Monday 15:23
くっくり


 日本軍は1937年の12月13日に南京城を占領致しました。で、その24時間前に日本軍は無血開城することを勧めました。国民党の側にですね、勧めたわけであります。ちょうどヨーロッパの戦争でフランスが無血開城されたように、(訂正)パリが無血開城されたように、南京も色んな文化遺産があるので、それを保護するために無血開城するよう勧めたのですが、これは無視されました。
 そこで戦闘が起こったわけですが、どのくらい死んだかということについて、死者の数がですね、ある程度特定できます。

 戦闘でですね、死んだ国民党の兵士の数は約1万5千くらいと見積もられます。
 これは年が明けましてから春先にそういう、遺体が腐敗するので衛生上の問題があるということで、日本軍がお金を出して中国の人達を雇って、そして埋葬の処理を致しました。当時の埋葬処理能力やその日にちなどを厳密に計算した研究がございますが、それに基づけば埋葬された死者の数は1万5千ぐらいです。

 日本兵もたくさん死にましたけれども、戦闘で死にましたが、日本兵については日本軍が占領した際に、日本兵である認識票という金属の付けたものがございますが、それを基にして日本兵を集めて火葬にしております。

 次に民間人ですが、民間人については実は南京城内に15人からなる欧米人のコミュニティーが作られまして、「そこを中立地帯として、どちらの軍も入らないよう」ということを要請したわけです。しかし、中国軍はここにですね、軍服を脱いで大量に入り込んでしまったために、後に問題が起こります。

 まあ、いずれにしましても、占領した日本軍に対して欧米人のコミュニティーが食糧を要求しております。
 そして、それはこの中立ゾーンの、safety zoneの中に、安全区の中に20万人の中国市民がいるので、その食糧を調達して欲しいと要請しております。

 で、通常は南京事件、南京大虐殺で30万人の市民が殺されたと言っておりますが、実際はこの一週間後、占領してから一週間後にまた委員会が食糧を要求する。で、その時の数はやはり20万人であります。「20万人のチャイニーズ・シビリアンがいる」という風に言っております。
 で、その一週間後にも同じ数字が出てきて、その一週間後にもという形でずっといきまして、一ヶ月後にはなんと安全区の中国人市民の数は25万人に増えております。

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