【過去】「南京大虐殺」まとめ(2)

2006.11.27 Monday 15:23
くっくり



 「中国の旅」と題する「日本軍虐殺」捏造コラムを計31回連載。著者は本多勝一氏。いわゆる「南京大虐殺」が知られるきっかけとなったものだが、中国政府当局やその恐怖政治の影響下にある人間による「日本軍の蛮行」に関する「証言」を丸写ししたものだった。
 後年大量の嘘写真や捏造事例などが暴かれ、本多氏自身も「証言」を丸写ししたものであることを認めている。

●1984.8.4 「南京大虐殺」を捏造

 生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠写真」とし、南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記したという「日記」を併記して掲載。
 これに対して、元歩兵二十三連隊の有志からなる「都城二十三連隊会」が立ち上がった。元兵士の懸命の調査により、1年4カ月後になって、この写真が全く別の場所の写真であることが判明する。「都城二十三連隊会」は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。
 それに対して朝日は1985/1/22、このような数行のおわび文を掲載した。「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」。全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述はどこにもない。「都城二十三連隊会」は更に朝日に対して不信感をつのらせた。
 写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざんゴネた上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示を拒んだ。
 「都城二十三連隊会」は日記の開示を求め、1986/8/22に小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをし、全て開示し写真に取らせよという判決が12/27に下った。が、朝日は取材情報源の秘匿を理由に、福岡地裁小倉支部に抗告し、裁判引き延ばし戦術に出た。最年長の老人は心労のため入院した。今なお朝日は真相を隠蔽している。


過去記事ここまで___________________________________


※紹介しきれなかった南京事件関連エントリー(比較的新しい物)
06/3/28付:GO!GO!松原仁−1(3月10日衆議院外務委員会)南京事件でGJ発言
06/3/28付:GO!GO!松原仁−2(3月15日衆議院外務委員会)南京事件でGJ発言

[7] << [9] >>
comments (31)
trackbacks (0)


<< 【過去】「南京大虐殺」まとめ(1)
【過去】総連関連団体の家宅捜索2本 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]