2006.11.27 Monday 15:23
くっくり
東氏は1912年生まれ、37年に召集されて京都第16師団に入隊し上海・南京攻略戦などに参加。戦後、町会議員や農協役員などを務めた。
氏が中国で注目され始めたのは87年。南京攻略戦を振り返る著書で、目撃談として当時の上官が中国人を郵便袋に詰め、虐殺したと書いたため、元上官から事実無根として名誉毀損で訴えられた。一審から最高裁まで、東氏の主張が信憑性不十分として却下された。だが中国当局がこの判決を「南京大虐殺全体への不当な否定」と位置づけ、東氏を中国に招き、日本政府を糾弾するキャンペーンを始めた。新華社通信などによると、それ以来、東氏は2004年まで計7回訪中した。
南京市政府が東氏の遺族に送った弔電は「歴史の真相を守るため、日本の右翼勢力と不撓不屈の闘争を展開した東先生の精神はわれわれを激励し続ける」と述べた。
(矢板明夫)
「中国共産党は、『アジプロ』を重視していた。アジテーション(扇情)とプロパガンダ(宣伝)という意味だ。日本人は『扇情』『宣伝』というと後ろ暗く感じるが、彼らは公然とやっている」と、現代史家の秦郁彦氏は指摘する。秦氏は「最大限で4万人」との立場だが、かつて中国人学者に30万人説について聞いたところ、「『たくさん』という意味だ」との答えが返ってきた。
秦氏は「中国は『30万人』は絶対に譲らない。つじつまが合おうと合うまいと、情報戦の世界では『たくさん』というイメージを作るのは当たり前。中国がカードを切れば、日本国内で何倍も大騒ぎしてくれる。こんなに安くつく情報宣伝工作はない」と指摘する。
[7] << [9] >>
comments (31)
trackbacks (0)
<< 【過去】「南京大虐殺」まとめ(1)
【過去】総連関連団体の家宅捜索2本 >>
[0] [top]