なぜ政府主催でないのか?!風化する抑留、そして引き揚げ…Tweetまとめ16.08.16〜16.08.31

2016.09.04 Sunday 02:20
くっくり


【9日、私の住む市で今年もシベリア抑留者の慰霊行事が行われた。
 終戦間近の昭和20年8月9日、当時のソ連が日ソ中立条約を破って、満州などへの攻撃を開始。約60万人の軍人や民間人をシベリアへ連行し、飢餓と極寒の中で強制労働に従事させた。長期の抑留で6万人を超える人が亡くなったが、抑留体験を語る人たちも年々少なくなってきている。
 本来なら、シベリア抑留の犠牲となった方々の慰霊行事は国が行い、戦後不法占拠されたままとなっている北方領土の返還運動につなげていくべきではないか。また、テレビや新聞も沖縄や広島、長崎と同じように取材や報道を行って抑留の実態を国内外に伝え、悲劇の記憶が風化しないよう努めるべきだ。
 戦後、日本は戦勝国を刺激しないよう配慮してばかりの外交を続けてきた。このままでは犠牲者の霊は浮かばれず、わが国の領土も返ってこない。】

 全く同感です!!

 日本が受諾したポツダム宣言には、「日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる」と書かれてあります。
 にもかかわらず、ソ連はこれを破りました。

 ソ連が崩壊してロシアとなった後の1993年10月、エリツィン大統領は訪日した際、「非人間的な行為」として謝罪の意を表しています。

 しかし、ロシア政府は今も、移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に拘束した「捕虜」であり、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者」には該当しないとして主張しています。

 これは、日本が降伏文書に調印した9月2日を第2次大戦終結の日と規定しているからです(日経新聞15/10/23)。

 一方、当時ソ連の一部だったウズベキスタン(ここにも多くの日本人が強制労働所に送り込まれた)は、「抑留者」を「日本軍捕虜」ではなく「日本国民」という扱いをしてくれています。

 独立後のウズベキスタンは、抑留された日本人らが建てたナヴォイ劇場に、その功績を称えるプレートを掲げました。
 そこには、カリモフ大統領の指示の下、しっかりと「日本国民」と記されています。

 ※カリモフ大統領は、この9月2日に亡くなったそうです。

ウズベキスタン(旧ソ連の一部)のカリモフ大統領死去。カリモフ氏と言えば、大地震で壊れなかったナヴォイ劇場を建てた抑留者を、「捕虜」ではなく「日本国民」として敬意を表したプレートが印象的。https://t.co/rO1Md5ev6F pic.twitter.com/gyYvxKvSzG

— くっくり (@boyakuri) 2016年9月3日


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