文革で食べられた人の家族と食べた隣人が今も同じ町に…福島香織さんの解説
2016.05.23 Monday 02:02
くっくり
どういう話かというと…
広西チワン族自治区の山間の場所で、1年ほど遅れて文革がやってきた。
「武闘」というのが行われた。
要するに、主流派と非主流派が武器をそれぞれ持ち、民兵あがりの人たちが、敵味方に分かれてリンチ。
負けた少数派をリンチし、挙げ句に、生きたままお腹を割いて内臓を取って食べるということが繰り返された。
都市伝説ではなく、全部ちゃんとその報告書が、文革中にも周恩来のところに上がって、党中央も驚愕した。
文革が終わった後、80年代前半に調査団もちゃんと派遣している。
どこで何が起こったか、日時と場所、何人が被害に遭ったかを調べ、被害者の名前も全部分かっている。
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[広西チワン族自治区武宣の川に浮かぶ島。文革中、ここで数十人が殺害されたと考えられている(2016年5月8日撮影=AFP)]
鄭義さんは1986年、天安門事件が始まる前にたまたまその話を聞いて、自分で取材に行った。
当時は天安門事件の前で、まだ取材ができる環境だった。
作家として名をなしていた人なので、新聞社の紹介証、記者証も持って現地に行けた。
すると現地では、歓迎しない人もいるが、歓迎する人もいて、「食人事件」を隠してはいけないということで、取材に協力した。
いろんな妨害もあったが、実際に人を食べた人も取材しているし、食べられた人の遺族も取材している。
当局の調査文書のようなもの、記録も目を通して、すごく緻密な取材をしている。
今回AFPの記事を見ると、鄭義さんが当時見た資料が、まだ現地に残っていることが分かる。
こんな酷いことが、わずか半世紀前に中国で起きた。
文革というと、批判大会のようなイメージがあり、言葉責め、投獄というイメージが先に来るかもしれないが、実は大虐殺。
自殺も含めると、2000万人ぐらいは死んでいる大虐殺。
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