なぜ元慰安婦は核心部分で“間違う”のか?

2016.03.14 Monday 02:07
くっくり



 (3)(7)では「16歳」ではなく「14歳」となっていますね。
 このように、元慰安婦らの証言に出てくる年齢は、その時々で違っていることがよくあります。

 これは、虚偽とか記憶違いというよりは、金福童氏の項でも書いたように、韓国では満年齢よりも数え年を使うのが一般的であることに起因しているようです。

 年齢を満年齢で言うか数え年で言うかで、最大2歳の差が出ます。

 李容洙氏は1928年12月13日生まれなので、1944年の夏や秋は「満15歳、数え17歳」になります。

 となると、それはそれで矛盾が生じます。
 (3)(7)で言っている「14歳」も、(6)で言っている「16歳」も、一致しなくなってしまいます。

 「満14歳、数え16歳」に合わせようとすると、今度は「強制連行」された年が、本人が主張してきた1944年ではなく、1943年になってしまいます(このあたり「従軍慰安婦問題を考える」さまが詳しい)。

 2004年12月4日に行われた『12・4全国同開催「消せない記憶」』のサイトのプロフィールでも、「強制連行」されたのは1944年となっていますが、ここで注目すべきは後段です。

「1944年、16歳の時に『軍服みたいな服を着た男』に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された」

 1944年から3年間って、1947年ですよね。
 戦争はとっくに終わって、旧日本軍は存在してませんよね。

 「3年間」は誤植でしょうか?
 でも、他の場所でも同じ証言あるいはプロフィールになっています。

「16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦として過ごした」(2004年12月5日 京都新聞)

「15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間も慰安婦をさせられた」(2006年10月13日『上田知事の「従軍慰安婦」否定発言を問う県民連絡会』記者会見)

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