なぜ元慰安婦は核心部分で“間違う”のか?
2016.03.14 Monday 02:07
くっくり
鄭陳氏(2016年1月没)。
台湾の元慰安婦です。
彼女は、2013年に東京都内で行われたシンポジウムで、こう証言しています。
「当時、高校への通学途中、突然警察官にジープに乗るよう強要され、 その後海外に連れて行かれた」(フォーカス台湾 2013年7月7日)
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黄錦周氏(2013年没)は、1995年、こう証言しています。
「(相手をさせられたのは)多い日で15人ぐらい、クリスマスは20人近かった」(「従軍慰安婦問題を考える」さま参照)。
ヘリコプター、ジープ、クリスマス(休暇)など、旧日本軍とは無縁のキーワードを出してくる慰安婦の方々が相手をしていたのは、ひょっとして別の国の兵隊さん?
長くなるのでカットしますが、この黄錦周氏も非常に矛盾の多い証言をしている人で、「同姓同名の別人が何人いるのですか?」と言いたくなるほどです(「世界に広がれ韓流の輪」さま参照)。
枝葉の部分で、記憶が曖昧になるのは分かります。
が、「強制連行」された年(あるいは年齢)や「強制連行」された時の状況という核心部分で、おかしな証言をしたり、後から証言を大きく変えている人がとても多い。
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1991年8月に元慰安婦として初めて名乗り出て、訴訟第1号となった金学順氏(1997年没)もそうでした。
「強制連行」された時の状況という、肝の部分の証言を変えています。
名乗り出た直後は、こう話していました。
「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終え、初めての就職だと思って、検番の義父に連れて行かれたところが、華北の日本軍300名あまりがいる部隊の前だった」(ハンギョレ新聞91年8月15日)
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