東日本大震災5年…風の電話と、語り始めた子供たち
2016.03.11 Friday 02:09
くっくり
大槌町では861人が亡くなり、今も421人の行方が分かっていません(2016年3月10日 NHKスペシャルによる)。
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「突然の死で、区切りをつけられない人がたくさんいる。苦しみ、悲しみを抱えた遺族と、亡くなった人をつなぎたい」
電話ボックスは震災から1カ月後の、2011年4月に完成しました。
電話の横には、佐々木さんのこんなメッセ―ジが添えられています。
【風の電話は心で話します
静かに目を閉じ 耳を澄ましてください
風の音が又は浪の音が
或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら
あなたの想いを伝えて下さい
想いはきっとその人に届くでしょう】
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電話ボックスの中に置かれているのは、線のつながっていない黒電話と、1冊のノート。
訪れる人たちは、今は会えない大切な人と会話をします。
会話を終えると、ノートに思いを綴ります。
そこに綴られた思いは、たとえばこのようなものだったそうです。
「お父さんに会いたくて、声を聞きたくて、来ましたよ。
孫も今年は3歳になります。愛する貴方へ」
「震災のあの日、何度も掛けました。
でも、繋がりませんでした。
ゴメンネ、おばあやん」
「会いたくて、会いたくて、声が聞きたくて来てみました。
もう痛くないよね、苦しくないよね」
「まごちゃんが3人になったよ
かあさんにおふろに入れてもらいたかったよ
かあさんのありがたみ今すごくわかるよ
また会いたくなったら ここにくるね」
「母さんは1日も君を忘れたことはないよ
早く帰ってきて」
「けんかしたまま別れた父 ありがとうしか言えない」
「平成23年5月13日。
あの日から2カ月たったけど、母さんどこにいるの。
親孝行できずにごめんね。
会いたいよ。
絶対、見つけてお家に連れて来るからね」
「親父さん。
貴方の白髪がとにかく懐かしいです。
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