“奇跡”を目撃…天皇皇后両陛下フィリピン行幸啓&報道されない日本軍の真実

2016.01.30 Saturday 03:59
くっくり


 アメリカは国防大学や士官学校でずっと歴史を検証してる。そういう公平な見方を日本も取り入れるべき】

 また、フィリピンは「特攻」の始まりの地でもありました。
 当時を知るフィリピン人のこんな証言もあります。

 自宅が戦争当時、日本海軍の航空隊司令部に貸与されていたフェルナンド・サントス氏。

【日本人兵士と私は仲良くなり、親密になりました。終戦の2〜3週間前、彼は私に日本の歌を教えてくれました。(中略)
 「戦争は終わります。もう、君と会うことがないでしょう。身体に気をつけて、僕は山に行きます」
 それが彼との最後でした。彼は二等兵でした。日本人もフィリピン人と同様にセンチメンタルなんだと分かりました。
 遠いアメリカを味方にして、隣国の日本と戦わなければならないフィリピンの思いが想像できますか。でも、それが人生です。失敗から学べます。
 死を覚悟していました。そんな彼が好きでした。彼がここから去って行く時、彼は二度と日本へ帰らない事、死んでいく事を知っていたのです。このような英雄的資質の武勇伝を現代の日本の若者は知るべきなのです。
 私からのメッセージは、もっと神風特別攻撃隊に関する本を読んでください。
 日独伊枢軸国やアメリカ同盟国の英雄として認められている人でも、神風特別攻撃隊員の勇気、決断、武勇に等しい人はいません。
 一つの大きな違いは、だれでも戦争に出征すれば死を覚悟します。死を覚悟して出征するのですから勇気があります。しかし、この勇気ある人々は、今死ぬということを知らない人達です。
 特攻隊員の場合は、離陸した時点で死んでいくことを知っているのです。事実、彼らは祖国のために自分を殺します。比類の無い存在ですから。
 尊敬されるべきであり、記憶されるべきなのです。日本国民は今の日本人の本質と粘り強さを受け継いだ象徴として彼らに感謝すべきです。
 長崎と広島に原爆が投下されたにもかかわらず、世界に対し大国になったのも神風特攻隊と同じように必死に頑張った人々がいたからです】
(2001年(平成13年)8月16日フジテレビで放送されたドキュメンタリー「特攻・國破れても國は滅びず」より)

 次に、画家のダニエル・H・ディゾン氏。
 1974年(昭和49年)、ルソン島のパンパンガ州マバラカット市に神風特攻隊慰霊碑が建立されましたが、これを市長に進言したのが彼でした。

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