“奇跡”を目撃…天皇皇后両陛下フィリピン行幸啓&報道されない日本軍の真実

2016.01.30 Saturday 03:59
くっくり


 両陛下は、皇太子ご夫妻時代の1962年(昭和37年)に昭和天皇の名代としてフィリピンを行啓されています。

 しかし、当時はまだ日本人の慰霊碑はなく、現地での慰霊は実現しませんでした。

 1973年(昭和48年)に日本政府により「比島戦没者の碑」が建設されたものの、両陛下の他国への行幸啓は法律上、内閣が決める規定となっているため、両陛下のお気持ちだけでご訪問先は決められないという制限がありました。

 特に初訪問国は、親善のための国賓としての公式訪問となるため、過去に訪問歴のあるアメリカの自治領サイパンに慰霊を目的に訪問されたケースなどと、フィリピンは事情が異なり、なかなか実現できなかったそうです。

 宮内庁幹部によれば、今回の行幸啓は日比両国の経済的な強い結びつきを背景に、戦後70年を経て、外交関係の節目という絶妙なタイミングが後押しして実現したとのことです。

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[29日、天皇皇后両陛下はマニラ郊外にある「比島戦没者の碑」に向かわれ一礼されたあと、日本から持ち込まれた白菊を供花台に供えられ、深く拝礼されて戦没者の霊を慰められました]


 「比島戦没者の碑」ご訪問についてはNHKが生中継していましたが、そこで私は奇跡のような出来事を目撃しました。

両陛下が比島戦没者の碑を訪問されたとき不思議な事が。NHK中継によれば「朝から雨が降ったり止んだりの天気」だったが、両陛下が来られる直前に少し晴れてきて、お車が到着し降りられる瞬間、強風がザッと吹き抜けた。供花、拝礼されたあと日系人の方々との懇談の時には空はすっかり晴れていた。

— くっくり (@boyakuri) 2016, 1月 29

以上、録画しておいたNHK特番「天皇皇后両陛下フィリピン戦没者慰霊」を見ながら書きました。補足すると、中継が始まった午後0時35分の段階ではまだ小雨が降ったり止んだりだったようで、傘を差している人も何人かいましたが、両陛下のお車が到着された0時53分までには上がっていました(続く

— くっくり (@boyakuri) 2016, 1月 29

続き)風もずっと少しは吹いていましたが、両陛下が到着された時の風はマイクが拾うぐらいのそれまでになかった強い風で、東京のスタジオのアナも「少し風が出てきたようです」と言っていました。日の差し方も、日系人の方々との懇談の頃には、人々の影が芝生にはっきり写るほどになっていました。

— くっくり (@boyakuri) 2016, 1月 29

続き)あと、「日系人の方々」と書きましたが、正しくは「フィリピンから帰還した元兵士の方々や戦没者の遺族の方々」でした。

— くっくり (@boyakuri) 2016, 1月 29


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