鈴木史朗さんが靖國神社のみたままつりで出会った“奇跡”と英霊への“お返し”
2016.01.25 Monday 02:12
くっくり
■「死して国を護ります」
〈一、ああ草枕 幾度ぞ
すてる命は 惜しまねど
まだつきざるか 荒野原
駒の吐息が 気にかかる
二、鞍を浸して 濁流を
越えてまた衝く 雲の峰
いななけ黒馬よ 高らかに
俺もお前も つはものだ
三、思へば遠く 来しものぞ
渡る風さへ 母の声
未練ぢやないが ふる里へ
夢や今宵は 通ふらん〉
戦地の情景と心情が浮かぶ、とても心に染み入る名曲です。
さらに私は、少し長めに入る間奏中に、「もしも私が兵隊として戦地に赴いていたら、どんな遺書を書いただろうか」と考えて作詞した詞を、セリフとして入れることにしたのです。
〈お父さん、お母さん、いよいよ明日は最後の戦いになります。私はお父さん、お母さんの無事を祈って、死して国を守ります。いままで何の親孝行もできませんでしたが、せめてもの親孝行だと思ってください〉
そして、カラオケ大会当日。この歌を歌ったところ、五百人を超える聴衆のなかで、涙を流して聞いていた方が何人もおられました。TBS職員の若い女性もわざわざ楽屋へやってきて、「本当に感動して涙が出ました。もっともっと歌ってください」と言ってくれたほどでした。
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[「千代田区観光協会」より]
■みたままつりの奇跡
それからしばらく、「この歌をまたどこかで歌いたい」と考えていた時、ある鼎談でお会いしたカラオケ好きの方に「どこかいい場所はないだろうか」とこぼしたところ、「鈴木さん、靖國のみたままつりにおいでになったらどうですか」とすすめられたのです。
私はハッとしました。「これまで靖國の英霊の方々の前に、生きながらえてしまった身をさらすことがどうしてもできなかった。しかし一方で、いつかはお参りしなければならないと思っていた。この歌ならばピッタリだ」。すぐに靖國神社に電話をしたところ、「是非」とのお返事をいただきました。
それがちょうど、一年前のみたままつりだったのです。
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