『ザ・コーヴ』の反証映画『ビハインド・ザ・コーヴ』1月30日公開
2016.01.11 Monday 03:14
くっくり
その理由が、太地に滞在した八木さんにはよく分かったそうです。
町に溶け込む敷居が高く、途中で多くの制作者たちが諦めてしまったのだろうと。
もちろん理由はそれだけではありません。
映画制作にはたくさんの費用と時間がかかります。
外国語の問題もあります。
活動家からターゲットになるという覚悟も必要です。
何より町民の協力が必要なのに、トラウマが癒えていない彼らはメディアに対しアレルギーを抱いていました。
一方で、親切にしてくれた町民も多かったそうです。
八木さんは、昼下がりになると、南氷洋に出向いた元捕鯨師の方々が公園のベンチに集まってくるので、その中に混ぜてもらい、話を聞くのを日課にしました。
元捕鯨師は太地町でも尊敬されており、気軽に八木さんを招いてくれ、夕食をごちそうしてくれたそうです。
理由を聞くと、自分たちも家族から離れ寂しい時に、他国の見知らぬ人たちが親切に接してくれた、自分達も他の町から来た人に親切にしたいと説明してくれたそうです。
別の元捕鯨師は、「信じている。お礼はいいから映画を完成させること」と言ってくれ、八木さんが太地を去る時には、「お金が尽きてしまったら、女房と二人暮らしでスペースがあるから、家に泊まりなさい」と声をかけてくれたそうです。
八木さんは後で知ることになりますが、実はその元捕鯨師は、東京の日本捕鯨協会会長に「八木さんをよろしくお願いします」と酒の席で何度も頼んでくれていたのでした。
そのおかげで、東京での捕鯨関係者への撮影も全てスムーズに行えたそうです。
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八木さんはこの映画で、『ザ・コーヴ』に映し出されなかった、なにげない町民の姿や町の風景、彼らが勤勉に働いているシーンを撮ることにこだわったそうです。
日本人は勤勉で、一生懸命努力して暮らしている。
反捕鯨の活動家らのように嘘で塗り固めた告発をもとに寄附金を得ているのではない。
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