なぜ朝日は慰安婦虚報を続けたのか?「崩壊−朝日新聞」より

2015.12.27 Sunday 03:20
くっくり


 Xは、「(吉田氏のような人は)世間の圧力が強くなると日和ってしまう」とか、「違うことを言い出す」とか、概ねそのようなことを言っていました。
 「取材するこちらが常に手綱を強く持っていないといけない」という趣旨のことも話していた。

 つまり、北畠は吉田清治に、「朝鮮半島の女性を強制連行した」との証言を曲げないよう、振り付けをしていたことになります。

 北畠は、大阪本社にいた頃、高校の同級生で親友だった人から、日本共産党に入党する推薦状を書いてもらえないかと頼まれたりしていました。

 当時の朝日新聞社内には、北畠以外にも共産主義者がうようよしていたそうです。

 また、北畠は『AERA』の職場に来た時、「朝日新聞に左翼でない人間なんているのかなあ」と話したり、ある記事が原因でモスクワから追放された経験がある木村明生のことを、「ああいうとんでもない奴がいるんだ。ひでえ野郎だよ。けしらからん」と罵倒していたそうです。

 長谷川氏が取材の中で、北畠と同じ大阪本社育ちの人から聞かされた「大阪本社社会部の歪み」。
 それは、世の中を階級闘争史観のマルクス主義で切って見せ、その視野から日本をこきおろして悦に入る類の記者が大きな顔をしていた組織ということでした。

 このあたりのことは、『崩壊−朝日新聞』で、より詳しく語られていると思います。

image[151227-04yayori.jpg]

 『崩壊−朝日新聞』のもう一人の主役、松井やよりは、「国際女性戦犯法廷」の中心人物としても知られています。

 長谷川氏は、対英米開戦50年を考える『AERA』の特集の取材で、1991年11月に、シンガポールのヌグリスンビラン州を訪れた時、松井やよりに関して驚くべき証言を耳にしたそうです。

 それは中年の華人女性の証言で、このような趣旨でした。

「シンガポールにいるという日本の朝日新聞の女性記者が、虐殺は日本軍がやったことにしておきなさい、かまわない、と言ったんです」

 そして、その女性記者の名前を「マツイ」と述べました。


[7] << [9] >>
comments (8)
trackbacks (1)


<< 慰安婦問題で日韓外相会談へ…挺対協を封じられるのか?
【速報】慰安婦問題妥結、日韓外相共同記者会見 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]