テロリストを讃える韓国の記念館と銅像

2015.12.14 Monday 02:30
くっくり



 尹奉吉が起こした上海天長節爆弾事件では、民間人の死傷者も出ています。

 上海日本人居留民団会長で医師でもある川端定次が死亡し、同書記長の友野盛が重傷を負いました。

 ところが、彼らの写真は展示されていません。

 80年以上も昔の「テロの戦果」を誇示する一方、民間人の死傷は巧妙に隠蔽されているのです。

 下川氏はこう憤っています。

「まったく無神経で、国際感覚に欠ける展示だ。
 これを見せられて愛国教育を受ける韓国の中学生たちは、どんな人間に育つのか。
 『夜郎自大の自滅の道』を歩むしかない。
 韓国は既にその道に踏み込んでいる、と確信する」


 他にも「テロ賛美」の場所が、韓国にはあります。

 たとえば、ソウルの龍山区の孝昌公園には、「李奉昌(イ・ボンチャン)義士」の銅像があります。

image[151214-01ri-douzou.jpg]
[「李奉昌(イ・ボンチャン)義士」の銅像(撮影:下川正晴氏)iRONNAより]

 昭和7年1月8日、東京・桜田門の警視庁前で、昭和天皇の車列に手榴弾を投げつけた韓国人です。

 幸い、手榴弾は車列の前方に落ち、昭和天皇は難を逃れましたが、随員1人が負傷しました。

 ご覧のとおり、銅像のデザインはまさに爆弾を投げつけようという姿で、「建立文」にはこう記述されているそうです。

【国が日帝によって強占された時、祖国の光復のために身を投じた李奉昌義士の気高い民族魂と独立精神は、民族の胸に永遠に燃え盛っている。
 義士は元凶である日王・裕仁を爆殺除去することが、まさに日帝の侵略と蛮行を全世界に告発し、独立を招来する道だと信じて上海に渡り、金九先生に挙事を願い出て、許諾を得た。
 1932年1月8日、東京で観兵式を終えて戻る裕仁に爆弾を投ずるも、命を奪うことはできず、現場で逮捕され同年10月10日、市ヶ谷刑務所で絞首刑になり、32歳で殉国した。

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