日土合作映画『海難1890』来月公開! 125周年を迎えたエルトゥールル号遭難事件
2015.11.21 Saturday 02:26
くっくり
同日 11時半
沖村長は救援用の食糧を準備、役場職員、巡査、医師を伴い、大島より陸路2里離れた現地に到着。
十分な治療が必要と判断し、応急手当が済み次第、大島の蓮生寺へ移送を指示。
一方、職員、巡査などに命じて遺体や残留品の捜索、収容に従事させるとともに、遭難に関する事情聴取に当たらせる。
かくてトルコ軍艦と判断、生存者代表2人を説得して、大島港に停泊中の商船「防長丸」に依頼し、神戸の外交機関に同行することを決定。
また「防長丸」の船長、機関手が英語に通じていると聞き、この2人を通訳として詳細な遭難記録を作成。
直ちに県庁、海軍大臣、呉鎮守府へ打電するとともに、県庁、郡役所宛の書面も作成し、夜11時に船で串本郵便局へ投函。
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[地図クリックで拡大表示]
9月18日 早朝
樫野、須江、大島3区の住民を動員し、残る遺体の収容作業を指示。
蓮生寺の負傷者に対しては、負傷の程度に応じて数十名の看護者を充て、受け持ちを定めさせて手当。
食物については賄い人を決め、可能な限り負傷者が望むものを調理、また必要な物品も供与。
会計については2人の職員を専任とする。
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[映画「海難1890」ダイジェスト特別映像PART2より]
同日 10時
遺体の埋葬場所を遭難現場を見下ろす地に定める。
またすべての遺体は新調の寝棺に納めることとし、用材を各所から購入して用意。
9月19日
ドイツ軍艦に依頼して65名を神戸の病院に移送。
併せてドイツ領事館に65名引き渡しの証明書送付を要請。
明治天皇は侍医を、皇后陛下は看護婦13名を神戸に派遣。
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