日土合作映画『海難1890』来月公開! 125周年を迎えたエルトゥールル号遭難事件

2015.11.21 Saturday 02:26
くっくり



「エルトゥールル号遭難は学校で勉強した。だいたい高校で。トルコではことわざがある。『自分の歴史を知らない人には未来がない』。だから自分の国の歴史に何があったというのはちゃんと学校で勉強する。そこで、トルコからめちゃ離れているのに日本という国が和歌山県で助けてくれたと知った」
「自分は海外に行くなら日本と思っていた。父には海外に行くことは反対された。が、どこに行くのかと聞かれ、日本と言ったらすぐOKが出た」

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 今日は、エルトゥールル号遭難事件にスポットを当て、当時の状況をより詳しく時系列でまとめてみます。
 
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明治19年(1886年)から翌年にかけて

明治天皇の伯父に当たる小松宮彰仁親王殿下が欧米諸国をご歴訪。
その際、トルコ(オスマン帝国)を親善訪問され、皇帝アブデュル・ハミト二世の歓待を受けられた。
これを知られた明治天皇は、令状とともに、最高勲章である「大勲位菊花大綬章」を皇帝に贈られた。
感激した皇帝は、これを機会に答礼並びに日本との友好を深めるべく、エルトゥールル号親善使節団の派遣を決定。

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[アブデュル・ハミト二世]

明治22年(1889年)

7月14日
軍艦エルトゥールル号がイスタンブールを出港。
訓練を兼ねての航海だった。

明治23年(1890年)

6月7日
650人の使節団を乗せたエルトゥールル号が、1年余りの苦難の航海の末、横浜港に到着。

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[エルトゥールル号]

6月13日
使節団一行が皇帝親書を明治天皇に奉呈。
明治天皇は、団長のオスマン・パシャ提督に勲章を授けられ、歓迎の意を表して晩餐会を開かれた。
晩餐会が終わると、明治天皇はさらに提督らを別室に招かれ、コーヒーを出され、長い旅路のことやトルコのことなどを熱心に懇談されたという。

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