中国人だらけの大阪城!韓国人は秀吉の展示に何を思う?
2015.10.12 Monday 18:04
くっくり
【住民たちは三世紀前の遺産である憎しみから(引用者注:秀吉の朝鮮出兵のこと)日本兵を嫌っているが、彼らに対してはなにも言えないでいる。日本兵がきちんと金を払ってものを買い、だれにも危害を加えず、庁舎の門外にはめったに出てこないことを知っているからである】(p.371)
【仏教は李王朝が創建される以前、千年にわたり大衆に好まれた宗教だったが、一六世紀以来「廃止」されており、実質的に禁止されてしまった。聖職者に対して過酷な法律が制定されたのは、三世紀前に日本が侵略してきたとき、日本人が仏教僧に変装して都に入る許可をもらい、守備隊を虐殺したからだと朝鮮人はいう。*1 その真偽はいずれにせよ、朝鮮ではよほど探さなければ仏教の形跡は見つけられない】(p.86)
*1 引用者注:これは全くのデタラメ。
まず、李氏朝鮮時代(1392-)に入ると儒教が国教となったため、仏教は徹底的に弾圧。第4代の世宗の時代(在位1418-1450)までに仏教の勢力は著しく衰退。以降、朝鮮王朝末期まで強い迫害を受けました。
そのうえで、「日本人が仏教僧に変装して都に入る許可をもらい…」の箇所ですが、仏教僧は、第11代の中宗(在位1506-44)の時代にすでに都への出入りを禁止されていたため、この朝鮮人の言葉は全く矛盾しています。
朝鮮人が主張するところのこの種の話(「昔、日本人に○○を盗まれた」というような言いがかり)は「朝鮮紀行」には幾度となく登場します。
その傾向は現代にも受け継がれており、2012年に韓国人に盗まれた対馬の観音寺の仏像を、韓国の浮石寺が「昔、日本人に盗まれたものだから返還しない」と仮処分申請をし、韓国の地裁がその主張を認めて、事実上の返還拒否を決定したのは記憶に新しいところです。
一方で、韓国人が都合良く忘れていることがあります。
秀吉の時代から遡ること約300年、1274年の「元寇」における韓国(高麗)軍が、対馬と壱岐の住民に働いた暴虐の事実です。
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[画像ソース:http://inoues.net/ruins/genkoh.html
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