満州国は輝ける近代国家だった

2015.09.14 Monday 01:09
くっくり



 ソ連軍の侵攻をはじめとして日本の敗戦で満州国は終焉を迎えましたが、その頃の悲惨極まる状況についても和田さんは話されています。

 たとえば「シニヘー事件」。
 私は初めて聞きました。

※ノモンハン近くのハイラルから東南40キロのシニヘーという場所で起きた、満軍第十軍管区での事件。モンゴル系の部隊がソ連侵攻直後、日系軍官35名を射殺した。

 支那人も朝鮮人も、落ち目になると途端に日本人に冷たくなったんですよね…。
 まさに「水に落ちた犬は打て」で…(T_T)
 
 いずれにしても、輝いていた頃の満州国を知る人は非常に少なくなっていますし、特に和田さんのようにプラスの面を話して下さる方は、本当にもうわずかしか残っていないのではないでしょうか。

 その意味でも、非常に貴重な証言だと私は思いました。

image[150914-09sinkyou.jpg]
[新京・南広場の景観。ロータリーの周りを、馬車、そして何台ものバスが通っている。画像はみに・ミーの部屋>満州写真館 新京その1より]

 最後に、西洋人から見た満州国ということで、実際に訪れたコリン・ロスの著書「日中戦争見聞記―1939年のアジア」image[]より引用しておきます。

 コリン・ロスは、1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となりました。

 親中派で、かねてから蒋介石政府に対し、同情的立場を示していました(もともとドイツ政府自体が蒋介石政府に友好的でしたが)。

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