満州国は輝ける近代国家だった

2015.09.14 Monday 01:09
くっくり



 「昼は満軍が治安を維持しているけれど、暗くなると八路(パーロ)が出てきて税金と称して金を取るわけだ。彼らは言う事を聞かないと有無を言わさずその場で射殺する事もある。満軍にとってはいやしくも法治国家だし、現地で問題が起きても法律の手続きは踏む事になる。住民は即断で動く八路にどうしても従う事になるんだよ」

 和田さんはこの中の「満州国は法治国である」という部分が印象に残っているそうです。

 八路は昭和12年に支那事変が起きて中国共産党軍の一軍隊となりましたが、当初は匪賊の流れみたいなもので、軍でもなかった。
 そうした中で、満州国軍が地味なかたちで満州国の治安を維持していたわけです。

 建国前、満鉄付属地以外は地域ごとに各軍閥が統治し、ほとんど軍事力増強の為だけに税金を収奪してきたのを、ほぼ平穏に新しい法律体系に移行したのですから、近代国家体制の骨組みへの移行が大変な努力で進められていた、というのが和田さんの見解です。

 「すべての民族が共栄関係である」というのを実証するような経験も和田さんはされています。
 それは、満系の上官に対しても日系の上官に対すると同じように絶対的な尊敬の姿勢が求められていたことでした。

〈中隊の外では校内で大勢の満系上官に出会います。満軍では、上官に対して歩きながら挙手の敬礼は許されず、彼らに対しても同じでした。日本人というだけの優越感は認めないぞと言われているようで、私にとってはちょっとした違和感でした。
 日系と満系が一緒に生活するようになってからも、民族的な差別は許さないと非常にうるさく言われました。「満系から尊敬されたければ、実力で尊敬されなければいけない」ということです。(略)
 連長の訓話では、満州国が「五族協和」「日満一徳一心」といった道義の上に建設されているという理念を繰り返し聞かされました。「五族の中に溶け込め」「おまえたちは上に立つのではなくて、下手に立って仕える生活をしろ」という教育でして、これが日本人の本当の姿を現しているのではないかと思います。戦後も日本人が海外に行って、そうした姿で各地の復興に協力しているのを見ますと、あの当時の満州のことをよく思い出します〉

※「五族協和」の五族とは、漢(漢人)・朝(朝鮮人)・満(満州人)・豪(モンゴル人)・日(日本人)。

image[150914-08kitte.jpg]
[満州国建国10年記念の5銭切手。画像はスタマガネットより]

[7] << [9] >>
comments (5)
trackbacks (1)


<< 自衛官の命が大切なら二度と差別はしないで下さい
安倍総理が消費税10%凍結を検討!?中国経済崩壊で世界があてにする日本! 青山繁晴「インサイト・コラム」 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]