満州国は輝ける近代国家だった

2015.09.14 Monday 01:09
くっくり


 私は「苛斂誅求」という言葉を、彼から教わったのです。当時の満州の青年が、本当に喜びをもって満州国に一緒に仕えてくれたということではないかと思います〉

 通貨の話が出ましたが、これに関しても驚愕すべき出来事が満州国ではありました。

 建国前、混乱を極めていた通貨の安定には、政府が最も力を入れたようで、旧通貨を新通貨に回収変換するのに1年余りでほぼ達成したそうです。
 これは新国家建設時の事例では、世界に類例のない快挙でした。

 和田さんの1期後輩で、シベリア抑留を免れ1年近く新京に残った人によれば、「そのまま使用して生活していた。私が帰国した後も、中共政府の延安元に替わるまで2年半ぐらい満銀券が旧国土内で信用され流通していたと聞いている」とのことです。

 これについては、当時の満州国中央銀行(日銀に当たる)発行課長、武田英克氏が戦後記述した著書『満州脱出』(中公新書)にも同様のことが書かれてあります。

〈われわれ満州中央銀行OBが誇りに思うのは戦後中銀を解体しても、なお2年以上中銀券が市民の間に流通していた事実である。一般に発券銀行が無くなればその貨幣は直ちに流通が止まる…。満州でもソ連の軍票や一時期の中国の紙幣はそうした運命を辿った〉

image[150914-07ginkou.JPG]
[満洲中央銀行。画像はwikipedia>満州国より]

 次に治安について。

 支那大陸では治安というものはこの世に存在しないような、とにかく「強い者勝ち」という世界でした。

 和田さんが予科在学中、途中で日本人の区隊長が交代しましたが、新区隊長は軍官学校2期の少尉で、国境に近い熱河省の現地満軍からの転属でした。
 その新区隊長が言うには、「現地では住民は税金を2度払わされている」と。

[7] << [9] >>
comments (5)
trackbacks (1)


<< 自衛官の命が大切なら二度と差別はしないで下さい
安倍総理が消費税10%凍結を検討!?中国経済崩壊で世界があてにする日本! 青山繁晴「インサイト・コラム」 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]