満州国は輝ける近代国家だった
2015.09.14 Monday 01:09
くっくり
(3)自国建国10年余の実態。特に経済面の成長を強調。国家財政は建国時の歳出入計2億7000万円だったのが、10年間で16倍の44億5000余万円に。鉄道は6000キロが1万2000キロに倍増、小学生は50万人から250万人に達しようとしている。石炭は4倍に、銑鉄は5倍に増産されている。
(4)米英が東亜侵略の手段に使っていた阿片吸引者は、建国当時130万人いたが、最近では近い将来完全にゼロに近づくまで減少している。
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[哈爾浜(ハルビン)のキタイスカヤ通り。ロシア人向け店舗前を中国服・洋服・和服を着た人々が闊歩する。画像はwikipedia>満州国より]
和田さんにとって、これらの事例の中のいくつかは、軍官学校での生活の小さな体験の記憶が、「ああ、この事だったのか」と思い当たる節も少なくないそうです。
以下は、和田さんの具体的な体験。
〈19年11月頃から、連(満軍の中隊)と区隊の再編成がありました。別々だった連が日系と満系生徒が混合して寝台を並べての生活です。目的は異民族間の気持ちの交流と、言語に慣れるためでした。強制的に日本語が禁止され、満語だけの期間があったり、生活習慣の違いから互いに誤解があったり初めは苦労しましたが、懇親会などで日系生徒が満語の挨拶をして寝台戦友の満系が日本語に通訳したり、歌謡曲を日満語お互いに翻訳し合ったのを唱ったり、大笑いして和やかな雰囲気になっていきました。満語は耳が必要に迫られて驚く程慣れてきました。
満系生徒は選びに選ばれた優秀な青年が多い印象で、日本語は比較的達者で、家庭も恵まれている感じでした。寝台を並べていると「家が懐かしい」「一度早く帰省したい」とか本音の話が出るようになります。夕食後、自習時間も終わり、ペチカに寄りかかって互いに実家の話をしていたとき聞いた言葉が、耳に残っております。
「父親がよく言っていたよ。満州国ができるまでは苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)っていうのかな、軍閥や各省の税金の徴収が取り放題、住民は生きるだけで精いっぱいだった。たとえ農作物を作って売っても、その紙幣は紙切れと同じで、いつダメになってしまうか分からない。それが建国してから治安がよくなって、通貨が一度に安定した。生活も落ち着いた」ってね。「そんなに急に変わったのかね」と聞くと、「以来ずっと現在まで続いているんだよ。僕らが誇りに思っているのは、それと近代工業化なんだ。奉天の方では重機械でも何でも造れないものがないくらい何でも製造しているだろ。我々満州の青年にはすごい誇りだよ」と。
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