朝鮮人徴用工の実態!月給140円、豊かな食生活と宴会、日本人女工と楽しく過ごし、宿舎を抜け出し逢い引き、朝鮮人親方の飯場に“転職”

2015.09.07 Monday 01:48
くっくり


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 「正論」2015年9月号に「徴用工」にまつわる西岡力さん(東京基督教大学教授)の論説が載っていました。

 タイトルは、
 【歴史戦争の認識なき外務省がもたらす禍根――
 「戦時徴用工」を第二の「慰安婦」にしてはならぬ
  政府は一刻も早く事実関係の調査をして外交戦に備えよ】

 明治日本の産業革命遺産が世界文化遺産に登録された際に、日本政府が「forced to work」という表現を使ってしまった問題がテーマです。

 前半は、朝鮮人に対する戦時動員の概説と韓国側のこれまでの動き、戦時動員に関する統計資料を引用してのマクロ的な分析などで構成されています。

 そして後半は、2人の朝鮮人徴用工の手記が紹介されているのですが、これが大変興味深い内容なのです。

 2人とも高給取りで、終戦直前の貧しかった時代なのに食生活も豊かで、しかもその気になればいつでも逃げられる環境でした。
 実際、1人は朝鮮人親方が仕切る飯場に“転職”しています。

 朝鮮人徴用工の全てがこうだったとは言うつもりはありませんが、当時は労働力が不足していたことから、全般的に彼らのように厚遇されていたと考えるのが自然でしょう。

 今日はその手記の部分を引用します。

 〈 〉内が手記本文で、
 〈 〉付きでない箇所は西岡さんの解説です(青い文字)。

【基礎知識】国民徴用令の朝鮮における施行(wikipediaより)
 1944年(昭和19年)8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも実施する、とした閣議決定がなされる。1944年9月より実施され、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施される。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月の下関-釜山間の連絡船の運航が困難になるまでの7ヵ月間であった。


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