朝鮮人徴用工の実態!月給140円、豊かな食生活と宴会、日本人女工と楽しく過ごし、宿舎を抜け出し逢い引き、朝鮮人親方の飯場に“転職”

2015.09.07 Monday 01:48
くっくり



 忠清南道の公州など各地区に、北海道札幌の三菱手稲鉱業所から、約1000名の鉱夫募集がありました。

 ところが応募者数は約7000名にのぼったために、次のような採用考査が施行されたそうです。

  第一次 1939年9月5日
  第二次 1940年3月5日
  場 所 扶余事務所、及び各郡所在地の面(村)事務所
  試験官 第一回 佐藤典正(三菱手稲鉱業所責任者)
      第二回 金丸一郎、金相培(扶余邑長)
  ほか補助役三名

 こうして厳選された約1000名は、二組に分けられ、その中の一組は同年9月11日、論山出発、翌12日元山港着、輸送船(5000トン級)で翌日の夕刻函館港に着きました。

 採用者たちは歓喜に溢れ、船内では全員歌舞に耽(ふけ)って、元気旺盛そのものであり、手稲鉱業所への就業後も、休祭日は自由に札幌市内に繰り出し、ショッピングはもとより銭函湾での船遊びまで楽しんだそうです。

 多くの青年たちは、札幌の市内観光や大門通りの遊郭回りに憩を求め、一部は淋病や梅毒に感染し、中には局部の切開手術を受ける者もあって、監督機関では性病対策に苦慮して衛生サックを配るなどしました。

 なお、休暇中の公傷は、治療費が全額支給されたとのことです。

 何よりも崔基鎬氏自身が、1940年に志願して三菱手稲鉱業所で1年間働いており、「実態は強制連行でなく、自発的行為であった」とはっきり記しています。


 あと、2015年6月15日放送「TVタックル」では、軍艦島で1968年から1974年まで暮らしていた日本人男性も(戦後生まれの方だが戦争前後の炭鉱の様子を伝え聞いている)、「朝鮮人が強制されて働きに来たという話は聞いたことがない」と証言してましたね。

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