朝鮮人徴用工の実態!月給140円、豊かな食生活と宴会、日本人女工と楽しく過ごし、宿舎を抜け出し逢い引き、朝鮮人親方の飯場に“転職”

2015.09.07 Monday 01:48
くっくり


 同工場での金山氏の月給がいくらかは手記には触れられていないが、約5カ月働いた後の逃走時に250円の現金を持っていたのだから、鄭氏の月給140円と遜色がない額をもらっていたと推定できる。

 京都駅で東京への切符を買うときに多少てこずった。
 鉄道員に証明書の提示を求められたが、頼み込んで70円の闇切符を2枚買うことができ、7月29日に京都駅を出発し、名古屋から中央線経由で31日午後2時に立川駅で下車した。
 立川で下車したのはあらかじめそのあたりに朝鮮人の親方が仕切る飯場があることを聞いていたのかもしれない。
 駅を下りて直ぐ朝鮮人に会って飯場を紹介してもらった。

 すぐに飯場が見つかり日給15円で雇われる。
 夕食、煙草、酒の接待まで受けたことから、いかに労働者が不足していたかはよく分かる。

 飯場での作業もきつくなかった。

〈八月二日現場へ出かけた処其途中で現場の一人がお前たち二人はこつちへ来てとふて山の奥へと連れて行かれた。
 そこに大きな横穴が掘つてあり、その近くに板が沢山あつたので、それを下まで運搬せよと云われ十一時頃迄に運び終わつて、川へ行つて水浴して帰つて午後は遊びましたが、これだけの仕事をして一日十五円の給料を貰いました。
 八月三日飯場より一里位離れた現場に行つたが大きなトンネルがあつて陸軍の歩哨が立つて居た。
 そんなトンネルを四つ潜つた処に同じくトンネルの中で飛行機を製作して居り、其処でも運搬を少し手伝つて十五円になりました〉

 朝から昼の11時までの半日仕事で15円もらえた。
 翌4日はまた、仕事を休み、東京見物に出かける。
 自由なものだ。
 そして横浜から府中近くに行き、高幡山で別の朝鮮人親方の飯場を見つけるとそちらに移ってしまう。
 仕事は防空壕掘りだった。
 日給20円に待遇が上がる。

〈この飯場は半島人労働者が三百人位しかいませんでしたが幽霊人口千五百人位を慥(こし)らえておりそれで配給も豊かで腹一杯食わして呉れましたが食事は豆計りで米は殆どありませんでした。
 それは配給の米を皆横流しにして金を儲けている訳で其処の半島炊事係は二カ月で十万円も儲けるとの事を聞き驚きました。
 この外に五日に一回平均で牛を密殺しますがこの牛は一頭二千五百円で買つてその肉を飯場の者に売りつけ金のないものは食べないがよい給料を貰つているので金はあり闇でどんどん買うので一頭でうんと儲けるとの事で皮だけでも千円で売れるとのことでした〉

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