朝鮮人徴用工の実態!月給140円、豊かな食生活と宴会、日本人女工と楽しく過ごし、宿舎を抜け出し逢い引き、朝鮮人親方の飯場に“転職”

2015.09.07 Monday 01:48
くっくり


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〈みんなが集まって生活をしてみると、いろいろな人がいる。
 ある人は“みかん”や“ネーブル”を、またある人は“なまこ”や“あわび”を、さらに酒まで求めて来て夕食後に宴会を開く。(略)
 ソウルではみかんのようなものは、わずかな配給のほかには求めることさえできない。
 そんな貴重なみかんが、ここではみかん畠に行けばいくらでも買うことができる。
 下痢をするほど思い切り食べてみたいものだと言い合った。
 それに[寄宿舎のあった]向洋と川一つ隔てた淵崎は、漁村で牡蠣の名産地だという。(略)
 時々食堂で出してくれる牡蠣が入った飯(牡蠣飯)は本当に珍味だった。
 干潮になると、食堂の後ろの浜辺ではなまこや浅蜊(貝)をたくさんとることができた。
 人手が足りなくてとらないのか、なまこや貝がそこら中に散らばっている。
 日課後にそんなものを採るのも面白かったが、それを煮たり焼いたりして酒盛りをするのは格別だった〉

 工場での勤務も厳しいノルマなどもなく女子挺身隊として動員された日本人女工さんらと楽しく過ごしていた。
 鄭氏は九九式小銃の部品を造る工場に配属された。

〈一月十五日、(略)工場に入ると先に出勤している女工たちが、走ってきて挨拶をする。
 たいへん親切に接してくれるのだった。
 中でも私を教えてくれる技工格の村上さんは、気持ちよく接してくれた。
 仕方なく工場に出勤して来たのだが、それほど気分は悪くなかった。(略)
 二週間が過ぎると、工場生活に多少慣れて能率もあがり、面白くなってきた。
 さらに我々は女工の間で作業するので、退屈することはなかった〉

〈四月二十日、(略)工場で働く男たちは武器生産には心がなく、女性たちとの恋だ愛だということにばかり心をうばわれているようで、工場内の風紀は言葉にならないほどだった。
 どの工場だったか、プレスを操作していた白某という者が、作業中女性とおしゃべりをしていて、自分の親指をばっさり切り落としたことがあった〉

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