「最近朝鮮事情」衆議院議員が見た20世紀初頭の朝鮮(2)終

2015.08.22 Saturday 02:25
くっくり



●井上公使は改革の方案を立て大院君(閔妃の夫である高宗の父親)を退隠させ王妃の干渉を防ぎ、幾度か勧告の上、朴泳孝や金宏集等を中心として連立内閣を作り、政治の改革を図らしたが、井上公使が日本に帰るや忽(たちま)ち王妃はウェバー(引用者注:ロシア公使)と結託して内閣を瓦解させ朴泳孝は日本に逃げて来るという始末になったから、井上公使は再び往いて閔族を斥け金宏集を総理に朴定陽を内務に日本党(引用者注:親日派)内閣を組織させた。

●ところが三浦梧楼を駐韓公使として遣り、代て井上公使帰るや、又閔族一派は日本党を排斥し内閣の更迭を促せしかば、金宏集等の派は三浦公使を説き孔徳里に隠居して居る大院君を起こすこととなり、大院君は二大隊を率いて日本党と合して王宮に乱入し閔妃を殺したり手荒いことをやった。

●日本政府はこれを聞いて大いに驚き、直ちに政務局長小村寿太郎を遣って善後策を講じさせ、三浦公使以下を罷(や)め柴四郎、岡本柳之助等を罪し、三たび井上馨をやった。ところが朝鮮は上の者も下の者も皆日本を危険(あぶな)がって露国に依頼しようとし、露公使も頻(しきり)に日本反対党をそそのかして遂に露国水兵を京城に入るるに至り、露国党は勢いを得て、(明治)二十九年の二月には内閣の主なる大臣を殺し、国王や世子等も皆露国公使館に赴かれ、死刑やら何やら気味の悪いことであった。

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[晩年の大院君。「大院君」とは王位が父から子への直系継承が行われなかった場合に、新しい国王の実父に対して贈られる尊号。李氏朝鮮末期に多大な影響をもたらしたため、単に「大院君」というと興宣大院君を指すことが多い]


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