「最近朝鮮事情」衆議院議員が見た20世紀初頭の朝鮮(2)終

2015.08.22 Saturday 02:25
くっくり


[註3]大島義昌:日清戦争の際に平壌攻略で戦功を立て、日露戦争にも第三師団長として参加。戦後は関東総督、軍事参議官となった。安倍晋三総理大臣は子孫の一人。
[註4]大石正巳 :1892年に朝鮮駐箚弁理公使として防穀令事件(朝鮮で凶作を理由に出された穀類輸出禁止令で日本の貿易商が大打撃を受けたとして、日本政府が賠償などを朝鮮に要求)の処理に従事。93年に朝鮮政府は賠償金を支払った。

image[150821-05-02road1910.jpg]
[1910年の鍾路(ソウルの中心地)。1899年に路面電車も開通]


<朝鮮の交通>

●朝鮮における間接の交通なる郵便や電信などは着々と日本の手で経営されつつあって、その手続きや料金などまず異(ちが)った所は無いと云うてよいから、これを略し、直接の交通である、海路の交通、陸路の交通、水路の交通を説こう。

●日本郵船会社、大阪商船会社、大家汽船部、大川運輸会社などは日本に本社を置き、朝鮮の各開港地に支店や出張所を設け、定期の航海を為して居る。朝鮮海路の交通の中で重(おも)なものである。

●この他朝鮮にあるのは、韓国郵船組、釜山運輸組、大韓協同郵船会社、大韓通運会社、堀商会等である。いずれも皆、朝鮮沿海の航運を為し交通の利を供して居る。

●陸路の交通汽車と道路自であるが、汽車は既に説いた京釜鉄道や京義鉄道、並びにこれらの支線、又、米人のやって居る京城電気鉄道ぐらいのみである。

●朝鮮の道路は殆ど道路と云うべき程のものは無いと云うてよい。第一京城から諸方に通ずるのを王道と称(とな)えて、この国の第一の大道であるが、それすら僅かに牛馬の通行ができる位の事で、修繕ということは殆どしない。その他内地の道路はおしなべて狭い上に不自然で、所によると平で幅二三間もあるかと思えば、それが又にわかに牛馬の通われぬ程の細道になって居るなど、実に不規則の至りで、この外、踏み分け道や山道のようなものが多く、旅人は往々往き先に迷うことがある。

●又橋梁は極めて少ない。たまには丸木橋など架けてある所もあるが、大抵は飛び石ぐらいの事、そこで平日ならポチンポチン徒渉りも出来るが、雨が降って少し水が出ると、旅人は何日も水の減るのを待たねばならぬことがある。

[7] << [9] >>
comments (3)
trackbacks (0)


<< 靖国神社はどうあるべきか? 青山繁晴「インサイト・コラム」
ハワイにはあの戦争と日本への知られざる認識があった! DHCシアター「終戦の日と日本人」より >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]