鈴木史朗さんの引き揚げ体験「私たちの財産を取り上げた中国が、いまも謝罪や賠償を求めてくるのは許せない」
2015.08.10 Monday 01:22
くっくり
私は船倉でじっとしていられず、よく甲板に出ましたが、吹きさらす雨風に打たれて見渡す限りの海を見ていると、子供ながらに「本当に日本に着くのか」と絶望感に苛(さいな)まれたものでした。
しばらくしてようやく、佐世保に着きました。ちょうど桜の季節で、「こんなにもきれいな国があるのか。天国みたいだ」と思ったことを覚えています。中国は乾燥していて、黄砂で空も空気も黄色く濁っていますから、非常に対照的に思えたものです。
一歳で祖国・日本を離れてから七年ぶりの帰国でした。
『忘却のための記録』image[]という本によれば、引揚者は三百十九万人。そのうち、私と同じように中国から引き揚げて来た人たちが五十万人。その他、軍人・軍属が三百十一万人いますから、計六百三十万人が戦後、壮絶な引き揚げを体験したのです。
image[150810-03sankei-hikiage.JPG]
[産経新聞2015年8月5日朝刊より。画像クリック→新規画面で拡大]
〈この七十年を評価せよ〉
なぜ、このような引き揚げの事実が戦後の日本でほとんど顧みられなかったのか。朝鮮半島からの引き揚げ体験を書いたヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんの『竹林はるか遠く』image[]がアメリカで発刊されると、在米韓国人らが猛反発して出版停止に追い込んだということもありました。
朝鮮半島で日本人たちが暴行や強姦、略奪に遭っていたという、韓国人らにとっては「不都合な真実」が綴(つづ)られていたからでしょう。
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