2015.06.01 Monday 01:43
くっくり
日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。
そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。
(1943年11月、ラジオ放送で蒋介石に対日和平を呼びかけた言葉)
これまでアジア諸民族の解放と結集の障害になっていたのは、一つは西欧帝国主義の存在、その二つはアジア弱小諸国へ援助の手を伸べるアジア勢力が欠如していたことであった。いま、後者の役割を演じるは、ひとり日本のみである。
日本がその役割を果たすためには、西欧帝国主義と決別しない限り不可能であった。その待望の時期はついに1941年12月、日本が敢然、米英に対し決裂の運命的宣言をし、生か死かの闘争に突入した時に訪れたのである。
ビルマ、インドネシア、マレーシア、フィリピン等の東南アジア諸国において独立が連鎖的に成されたのは、その自由の炎を日本によって、ともされたことによるものである、という事を書きとどめるべきであろう。これら諸国は日本国民におうところ大である。
(パールが19歳の時、日本が大国・ロシアと戦い勝利を収めたという知らせがインドにもたらされた)
同じ有色人種である日本が北方の強大なる白人帝国主義ロシアと戦ってついに勝利を得たという報道は我々の心を揺さぶった。
私たちは白人の目の前をわざと胸を張って歩いた。先生や同僚とともに毎日のように旗行列や提灯行列に参加したことを記憶している。
私は日本に対する憧れと祖国に対する自信を同時に獲得し、わななくような思いで胸一杯であった。私はインドの独立について思いを致すようになった。
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