志位さんのような人こそが戦争を起こしやすい! Tweetまとめ15.05.16〜15.05.31

2015.06.01 Monday 01:43
くっくり


■鄭春河=台湾に志願制度が布かれた1942年、血書歎願し陸軍特別志願兵としてチモールに従軍。
 現代では、帝国主義による拡張政策は侵略と呼ばれ、国家悪の元凶と考へられるやうになったが、それは大東亜戦争といふ試練を経て会得した人類の思考の進歩であり、多大の犠牲を払ったあげくに達し得た理念である。
 換言すれば、大東亜戦争といふ一大転機がなかつたならば、依然として帝国主義の時代が続いてをり、各国は領土拡張に鎬(しのぎ)を削つてゐたであらう。

■サイデマン・スリヨハデイブロジョ=インドネシア人。陸軍大学長、駐日大使、外務省上級大使などを歴任。
 日本に学べというのは、日露戦争以降今日まで続いているアジアの伝統的な姿勢です。独立運動の指導者、スカルノとハッタが演説のなかで繰り返し言ったことは、一九〇五年の日露戦争における日本の勝利についてでした。これこそ我々が白人に勝てる証明だと。

■ブルキフ・ルビス=インドネシア人。日本軍の訓練を受け、祖国防衛義勇軍として独立戦争に参加。元陸軍大佐。
 大東亜戦争が契機となってアジアからアフリカまで独立しました。日本にだけ犠牲を払わせてすまないと思います。大東亜戦争中の日本軍政の特徴は、魂を持ってきてくれたことです。

■モハメッド・ナチール=インドネシア人。元首相で、世界イスラム教徒会議副議長を務めた。
 大東亜戦争が起きるまでアジアは長い植民地体制下に苦悶していました。そのためアジアは衰えるばかりでした。アジアは愚かになるばかりでした。だからアジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。

■アブドル(アブドゥル)・ハリス・ナスチオン(ナスティオン)=インドネシア人。スカルノ内閣で国防相を務めた。
 独立できた要素の第一は、日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。植民地体制の粉砕なくして独立はありえません。
 第二は日本軍の猛烈な軍事訓練です。オランダ軍はやってくれませんでしたし、我々自身がやろうと思ってもできるものではありません。
 日本軍時代の三年半でインドネシア人はすっかり変わったが、こんなに変わったことをイギリス軍やオランダ軍はわかっていませんでした。


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