植村隆LA講演テキスト…在米日本人「朝日慰安婦記事取り消しも日本の保守の声も米国では全く知られていない」
2015.05.11 Monday 04:01
くっくり
まあその支局長は前の年、僕が取材ができなかったことを知ってたんで、そういうふうな情報をくれました。
それで大阪から取材に出張して、一人調査に行ったわけです。
ただ、私は、先ほど90年の…、91年の8月11日に、挺対協、を取材して、おばあさんのテープを聞いて書いたんですけれども、おばあさんがその3日後に記者会見するっていうのは全く知らなかったので大阪に帰ってた、わけですね。
だから、その記者会見には出られなかった。
第一報だけ書いたと。
だから慰安婦問題の主犯に、みたいに、言われてる私なんですが、初期の頃に署名入りで、おばあさんが証言を始めた、というような記事、それともうひとつ書いたんですが、まあ、一番私が激しく(批判を)受けてるのはこの記事、だけで、あります。
しかしこのおばあさんが登場した、このあとで記者会見をして、自分の体験を話したということは、非常に歴史的な事件でありました。
なぜなら1991年、夏まで、韓国では元慰安婦で日本軍の犠牲になった人たちが、そのつらい体験を、全く話すことがなかったんです、公的の場所で。
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そしてこの慰安婦の金学順さんがこういう勇気ある証言をしたことによって、他の慰安婦のおばあさんたちが勇気づけられて、自分たちの被害体験を喋るようになったんです。
私が韓国の雑誌で読んだニュースでは、今日いらっしゃってる李容洙(イ・ヨンス)さんも、金学順さんの証言を見て、そして自分も名乗り出るというような、行動を取られたというふうに聞いています。
そういうふうに、金学順さんの証言が他の人を、他の被害者を勇気づけて、それが慰安婦問題が国際化する、大きな動きになっていきました。
この金学順さんは、91年の夏にカミングアウトをして、その年の12月、日本政府を相手にですね、他の慰安婦のおばあさんたち計3人、そして他の戦争犠牲者たちと、原告団を組織して、謝罪と賠償を求めた訴訟を日本政府に対して、東京地裁に起こしました。
そしてこの裁判を受けて、そしてそうした動きに関して、日本政府も調査を始めて、河野談話、という、ものを1993年の8月に出したのであります。
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