植村隆LA講演テキスト…在米日本人「朝日慰安婦記事取り消しも日本の保守の声も米国では全く知られていない」
2015.05.11 Monday 04:01
くっくり
そしてそれが韓国に流れて、また北海道新聞という日本の、地方のローカル紙ですけれども、北海道地方の有力地方紙が、この金学順さんに直接インタビューしてこの日に、日本で報道しました。
そういうことで私の記事は、後追いがなかったんですが、ご本人が3日後に、話をした、ことで、この金学順さんの証言が表に出たんです。
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私はこの記事を書いた当時、大阪社会部の記者をやっておりました。
大阪ってのは皆さんご存知だと思いますが、在日コリアン、朝鮮半島から渡ってきた、戦前渡ってきた人たちの一世、二世が住む町であります。
この在日コリアンの人たちはですね、就職問題や結婚問題、さまざまな問題で、日本人に比べて差別を受けております。
私は大阪社会部の記者として、その在日コリアンの人権問題を担当していました。
そういう時期に、この慰安婦の、おばあさんの問題が登場したんです。
1990年の頃です。
日本と韓国の間で、慰安婦問題がひとつのテーマとして浮上してきました。
日本では、日本政府はですね、慰安婦は民間業者のやったことだ、というふうな発言をしたことによって、韓国側の反発を買っていました。
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そんな時期に、朝日新聞にはですね、女性の人権問題を担当している松井やよりさんという方がいて、この人はもう1980年代ぐらいから、タイに住む慰安婦のおばあさんに取材したり、していた、方です。
そういう方の、私はまあ後輩だったんで、そういう方の話を聞いたり、あるいは私の社会部の直属の上司、デスクのアドバイスなんかも受けて、90年の夏に、1990年の夏に、2週間、韓国を取材したわけです。
そしてその2週間取材したんですが、90年の夏には、慰安婦のおばあさん、誰も、証言をしてくれませんでした。
なぜ1991年の夏に、その私が記事を書けたでしょうか。
それは1990年の夏に2週間韓国を取材して、その時は空振りでしたけれども、1991年の夏に、朝日新聞の当時のソウル支局長から、慰安婦のおばあさんが証言を始めていると。
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