植村隆LA講演テキスト…在米日本人「朝日慰安婦記事取り消しも日本の保守の声も米国では全く知られていない」

2015.05.11 Monday 04:01
くっくり


 で、お手元に、ニューヨークタイムズの記事のコピーが配られていると思いますけれども、これは去年の12月に、出た、ニューヨークタイムズの記事であります。私が勤務する北星学園大学の講師が、出ています。で、この記事の中でですね、ニューヨークタイムズの記者は、こんなような表現を使ってます。

 タブロイド紙、ま、これは日本のタブロイド紙でありますが、植村氏を売国奴と烙印を押し、彼の記事は日本への積年の恨みを晴らす、韓国の嘘を広めるための組織的中傷の一部、つまり韓国の手先になって、反日記事を書いている、というような意味でしょうか、そういうようなことを、伝えていると。

 私は本当に国賊なのでしょうか。売国奴なのでしょうか。

image[150511-07P5090199asahi91.JPG]

 いったい私がどんな記事を書いたのか。それではちょっと私の記事を見ていただこうと思います。
 お手元に配布してると思います。
 1981年(91年?)の8月の11日に書いた、朝日新聞大阪版に、社会面に出た記事であります。
 韓国の慰安婦のおばあさんが、その被害体験を、支援団体、先ほど言いました挺対協に話をしているという、記事、であります。

 この時、私は、ま、この慰安婦のおばあさんのご本人には会えませんでした。
 その時には、会うことを拒否されたんですね、その支援団体から。
 但し支援団体の聞き取り調査の結果、そしておばあさんの声を録音した録音テープを、聞かせていただきました。
 そしてこのテープと、話をもとに、慰安婦のおばあさんが証言を始めた、というスクープ記事を、書いたんです。

 ところが、スクープ記事と言っても、初めて、韓国の新聞が先に書いたんですけれども、どこも後追いしなかった。
 しかしそのおばあさんは、その後、世界的に有名な人になります。

 このおばあさんは、私が記事を書いた91年の8月11日付の朝日新聞、それが日本の大阪で発行された3日後、1991年の8月14日に韓国の記者団の前で顔を出して、自分が元慰安婦だったと、自分のつらい体験を自分の名前、金学順という名前を、挙げて、紹介しました。

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