植村隆LA講演テキスト…在米日本人「朝日慰安婦記事取り消しも日本の保守の声も米国では全く知られていない」
2015.05.11 Monday 04:01
くっくり
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____________________________書き起こしここまで
日米研究者の187人の声明を私は多少は評価していましたが、植村氏を講演に招いた人物(平野克弥氏)が署名しており、植村氏も声明を評価しているとなると話はだいぶ違ってきます。
今回音声を提供して下さった男性は「(声明は)人権の問題にすり替わっている」と述べています(後述)。
昨年8月の朝日の検証記事によれば、植村氏は、91年8月11日の記事で金学順がキーセンに売られたことを書かなかった理由について、「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「知らなかった」と話したとあります。
百歩譲ってそれが本当だとして、じゃあ91年12月25日の記事(植村氏が講演の中で「もうひとつ書いた」と指摘したところの記事)はどうでしょうか。
なぜキーセンに触れなかったのでしょうか。
植村氏は、金学順が日本政府を提訴した後の91年12月25日、本人を直接取材した記事を出しています。
訴状には強制連行とは書かれておらず、金学順がキーセン学校に通っていたことや、養父に連れられて中国に行ったことが書かれていました。
植村氏は自分が訴状を読んだことも認めています。
なのに記事にキーセンのくだりを載せなかった。
朝日新聞社「第三者委員会」の検証によれば、植村氏は「キーセン学校へ通ったからといって必ず慰安婦になるとは限らず、キーセン学校に通っていたことはさほど重要な事実ではないと考え、特に触れることなかった」そうです。
このあたりのことを、彼はこの講演で全く説明していません。
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