昭和天皇の質素な暮らしと共産党員によるプラカード事件
2015.04.27 Monday 03:00
くっくり
敗戦直後のことですから、昭和天皇に複雑な思いを抱えていた国民がいたのも事実です。
しかし、そういった国民も、いざ昭和天皇のお姿を拝した時には自然と「天皇陛下、万歳!」と叫んでいたそうです。
そうした中には共産党員や共産主義思想に染まった人々もいました。
これは佐賀県基山町因通寺で見られた光景です。
【因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけていた。
昭和天皇は最前列に座っていた老婆に声をかけられた。
「どなたが戦死をされたのか」
「息子でございます。たった一人の息子でございました」
声を詰まらせながら返事をする老婆に
「どこで戦死をされたの?」
「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息子は最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。・・・天皇陛下様、息子の命はあなた様に差し上げております。息子の命のためにも、天皇陛下さま、長生きをしてください」
老婆は泣き伏してしまった。
じっと耳を傾けていた天皇は、流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていた。
引き揚げ者の一行の前では、昭和天皇は、深々と頭を下げた。
「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったであろう」
とお言葉をかけられた。
一人の引き揚げ者がにじり寄って言った。
「天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦しんでいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛下さまも苦しんでいらっしゃることが今わかりました。今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さまと一緒に私も頑張ります」
この言葉に、側にいた青年がワーッと泣き伏した。
「こんな筈じゃなかった。こんな筈じゃなかった。俺がまちがっておった。俺が誤っておった」
シベリア抑留中に、徹底的に洗脳され、日本の共産革命の尖兵として、いち早く帰国を許されていた青年達の一人であった。
今回の行幸で、天皇に暴力をもってしても戦争責任を認めさせ、それを革命の起爆剤にしようと待ちかまえていたのである。
天皇は泣きじゃくる青年に、頷きながら微笑みかけられた。】
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